神の世界にも死の国はあり、そこを統治する神がいます。
ギリシャ神話ならハデス、北欧神話なら女神ヘルと主神オーディーンですが、インド神話の死の神はヤマという名前です。
ところが、この神は死を司る恐ろしい神だけではなく、意外な一面も持っている神だったのです。
ヤマとは?
『リグ・ヴェーダ』によると、太陽神スーリヤの息子とされています。
また、大洪水を生き残った最初の人間マヌの兄弟という説もあります。
他にも、ヤマこそが最初の人間であり、死の道を発見し【死者の王】となったのだとも言われています。
黄色い衣を着て頭に冠を被り、手には死者の霊魂を縛るための捕縄を持っているそうです。
冥界を支配して死者を裁き、地獄に落とす神とされ、やがて骸骨の姿をした死の病魔トゥルダクを従えた死神とされるようになりました。
シャバラとシュヤーマ
【サーラメーヤ】と呼ばれる2匹の番犬がヤマにはいるそうです。
それぞれの名前はシャバラとシュヤーマと言い、眼を4つ持っています。
この犬はなんと雷神インドラの愛犬サラマーの子どもなのです。
賢い頭脳を持った犬と言われていましたから、子どもたちも知能は高かったようで、『リグ・ヴェーダ』によると、冥界への道を監視していたそうです。
死者たちを冥界へ導く死に神のような役目をしていたという説もあります。
この犬たちは【シャルヴァラ】と呼ばれることもあるそうですが、語源的にギリシャ神話の冥界の番犬【ケルベロス】と関りがあるとされています。
確かに、共に冥界の番犬で、死者を導くという職掌は共通点がありますね。
棒と縄
【棒と縄】ヤマが手にしているものです。死者の魂を捕まえるために使用するもので、縛った魂を冥界に引っ立てると言われています。
水牛
恐ろしい容貌のヤマは、王冠をかぶり血の如く赤い服を着て巨大な水牛に乗った姿で描かれます。
もちろん、その手には棒と縄を持っています。
現在のインドでは、ヤマは水牛に乗っていますが、その肌は青く表現されるようになりました。
ヤマの別名
1.八大世界守護神
南方を守護するとされています。
ヤマがこの方角を護るということで、死の国は南方の地の底にあると言われるようになりました。
2.死者の王、死の神
これはそのままですね。
3.十二天・閻魔天
一昔前の子どもたちは小さいとき、「悪いことをするとえんま様に舌を抜かれるよ」と大人に叱られた(脅された)ことがあるのではないでしょうか?
お寺には恐ろしい地獄図が必ずありますが、その中心に座っている一番恐ろしい顔をした人物が地獄の王【閻魔大王】です。
仏教に取り入れられたヤマは、死の国の王ということで、十二天の一人、閻魔とされ(夜摩と呼ばれることも)人間の死後の審判を司る閻魔天と同一視されるようになりました。
4.ヴィヴァスヴァタ
ヴィヴァスヴァットとも言い、太陽神スーリヤの別名でもあります。
命を与える太陽神と死の神が同じ名前を持つというのも、当時は生死を一体と考えていたということなのかも知れません。
5.ムリティユ
この言葉は【死】を意味します。
まさにヤマにふさわしい名前と言えましょう。
最初に死んだ人間
そもそもヤマが登場したのは非常に古く、インド最古の聖典『リグ・ヴェーダ』成立以前、インド・イラン共同時代と言われています。
また、ゾロアスター教の聖典『アヴェスタ』に出て来る【イマ】(最初の人間、理想的な統治者の意)に対応しているとされています。
死の道を発見した最初の人間(最初に死んだ人間)として死者の王となって死の王国に君臨するヤマ。
前述のように彼の旁らには4つの眼をもつ2匹の番犬がつき従いって、死の国の道を守護しているとされています。
そして死に神にも呼ばれているこの2匹の犬は、人間界も自由に歩きまわり、死ぬべき人間をその鼻で嗅ぎ分け、死の王国へ連れて行くと言われています。
ところで、死の国=地獄と連想する方も多いと思われますが、ヤマが君臨したのは地底の地獄ではありません。
逆に天上である最高天にある楽園だったのです。
ヴェーダ時代(バラモン教が栄えた時代)には、ヤマの死の王国は喜びに満ちた理想郷であると考えられていました。
このヤマの国で死者はピトリ(祖霊の意)と一体となり、悠々自適、安楽に暮らせると言われ、それが理想という考えが広く信じられていました。
このあたりの設定は、同じ死の国とは言え、ギリシャ神話のハデス支配の冥界とは違いますね。
兄と妹の危ない関係!?
実はヤマには双子の妹【ヤミー】がいました。
彼女はインドの母なる川ガンジス河最大の支流ヤムナー河の女神でした。
『リグ・ヴェーダ』によると、兄ヤマに恋したヤミーは積極的に兄に求愛し、自分と結婚するように説得したそうです。
しかし、妹をそんなふうに考えられなかったのか、ヤマは拒絶し、妹をたしなめたと言われています。
ヤミーは「私は兄さん(ヤマ)が好きなの。だから私と夫婦になりましょう」と言い寄ったとか。
ヤマは冷静に「私たちは兄妹だ。そんなことをしてはいけない」と繰り返し説得したというエピソードがあります。
その情景は牧歌的で微笑ましくもありますね。
しかし、彼らは最初の夫婦であり、人類は彼らから誕生したという説もあります。
後世に成立した文献『ブラーフマナ』では、ヤマが亡くなり、それを嘆き悲しむヤミーにヤマを忘れさせるために神々が夜を作ったと言われます。
そして同時に【翌日】というものができたため、ヤミーはヤマを忘れることができたと伝えられます。
これが昼夜の別が作られた理由であり、“夜は災いを忘れさせる”と言われるようになった由縁でもあるそうです。
兄妹の恋…やはり神々の数が少ないと相手が限られますから、どうしてもそういう傾向になってしまうのでしょう。
兄妹婚はあちこちに散逸されるエピソードでもあります。
ブラフマーは親子婚ですしね。
地獄の統治者ヤマ
時代が下るとヤマの職場は懲罰の場である地獄とされ“死者の審判者”と見なされるようになりました。
正に“閻魔大王”と同じ職掌を担うことになったわけです。
地獄に来た死者の魂は全てがヤマの審判を受けなければならないのです。
現代の裁判所のような所かはわかりませんが、ヤマは緑色の肌の上に血のように真っ赤な衣をまとっているということです。
そして彼の銅色の眼が恐ろしい形相であたりを睥睨しているそうです。
死者の魂はこれだけで震え上がることでしょう。
ヤマには書記(チトラグプタ・インドラの子どもとも)が死者の善行と悪行を記録から読み上げます。
すると、ヤマはその人間が現世で行った善悪の行為の結果を公正に査定し、ヤマダルマ(ヤマの法、ヤマの正義の意)によって結果に応じた地獄へと魂を送るのです。
死者の魂を連れてきて、現世の行いを判断する…世界の神話には共通点が多いとは理解していましたが、ギリシャ神話の冥界における冥王ハデス、番犬ケルベロス、審判者ラダマンティスのトリオと似ていますね。
さて、ヤマは地獄の王座に座ってのんびりと死者の魂が送られてくるのを待っているだけではありません。
彼は全ての人間の寿命が記されている『運命の書』というものを持っていたので、ある人間が死すべき時になると、使者を遣わしてその人間を審判の場=地獄へ連れてくることのできる権力を持っていました。
時にはヤマ自身が愛牛にまたがって、棒と縄を手に死者を迎えに行くこともあったとされています。
この縄を死すべき人間の首に巻きつけて地獄へ引っ立ててくるのだとか。
王自ら連れに行くなんて、暇なのか、相手がそれなりの人物だったのか…いろいろと推測するのもおもしろいですね。
人間は一般的に“死を恐れる”傾向があります。
だから人間達は死=ヤマを排除する方法を見つけようとしました。
最も効き目があると考えられたのは、ヒンドゥー教三大神(創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァ)の中の1神の名を呼んで、ヤマを鎮めることと思われました。
悪知恵が働く者は臨終の際に息子ナーラーヤナ(ヴィシュヌの別名)を呼び、ヴィシュヌの使者を呼び寄せることに成功したので、見事、ヤマの使者を追い払ったという説もあります。
正直者はそういうことをしないで、素直にヤマに従ったのでしょうね。
でも、その行いの結果は審判に反映されるはずです。
ズルをした者は、地獄で責め苦にあえいだことでしょう。
エンタメ世界のヤマ
女神転生シリーズ
初出作品は『真・女神転生』で、種族は天魔です。
インド神話にちなんだ名前ではありますが、暗色の法衣を来て、笏を持っているという仏教の閻魔大王らしいデザインで描かれています。
その能力も地獄に落ちた亡者を責め立てる業火を比喩しているように、火炎属性攻撃に優れています。
『真・女神転生』では池袋スガモプリズン(巣鴨プリズン・太平洋戦争を裁く東京裁判の結果、戦犯とされた人達が収容された拘置所)において、メシア教徒を裁くカオス勢力の裁判官という混沌を至上とする勢力でありながら法の裁きをもたらすという、噛み合わない役どころを担い、主人公の属性によっては裁きと称して戦闘を行ってしまいます。
『デビルサバイバー』では厳しい司法神としての性格を前面に押し出していて、ミドリを殺そうとした民間人に激高したケイスケの「悪人を裁く」意思に呼応して姿を現し、それ以降ケイスケはヤマを連れて封鎖内で罪を犯した人間を裁いて回るようになります。
ヤマがいることで「俺がルールだ!」状態になって暴走してしまうと思われます
女神異聞録ペルソナシリーズ
ヤマは、『真・女神転生』シリーズだけでなく、女神異聞録ペルソナ2にも登場します。
ペルソナでは【HIEROPHANT=法王】に属するキャラです。
漫画ペルソナ罪と罰(ペルソナ2のスプンオフ漫画)では主人公木場一実のペルソナとして登場します。
ヤマは作品ごとにデザインが違っていて、異聞録では青白な姿、罪では長い髪、罰ではマスクをしています。
罪と罰では罪と同じく長い髪に陰陽型の刃物を背負っていますが、赤を主とした姿に動物の頭蓋骨を被っていたりと、かなりの違いがあります。
このデザインは顔を開けることができるようになっています。
マンガ『聖伝』 CLAMP原作
何回か紹介しているCLAMPのデビュー作だった人気漫画です。
主人公の一人夜叉王の異母弟が夜摩(ヤマの別名)と呼ばれる筋骨たくましい精悍な青年です。
天界を滅ばす忌まわしい存在と言われた幼い修羅王を救ったため、夜叉一族は殲滅されました。
それ以前に兄に王座を譲るため蓄電していた夜摩は無事だったのですが、再会した兄達を逃がすため、帝釈天の部下と戦い、惨殺されました。
ヤマ|最初に死んだ人間から地獄の統治者へ まとめ
どんな人間でも避けることができないもの、それが【死】ではないでしょうか。
金持ちでも、貧困でも、男でも女でも必ず死は訪れます。その死をもたらす神がヤマでした。
死者の魂を裁くヤマ。
恐ろしくはありますが、公正な裁きをしてくれるのは少し安心感があります。
個人的にヤマに妻の存在がないのがわびしいと感じました。
あのハデスにだっていたのに、地獄で寂しくはないのだろうかと心配してしまいます。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
マイベスト漫画は何と言っても山岸凉子の『日出処の天子』連載初回に心臓わしづかみにされました。
「なんでなんで聖徳太子が、1万円札が、こんな妖しい美少年に!?」などと興奮しつつ毎月雑誌を購入して読みふけりました。
(当時の万札は聖徳太子だったのですよ、念のため)
もともと歴史が好きだったので、興味は日本史からシルクロード、三国志、ヨーロッパ、世界史へと展開。 その流れでギリシャ神話にもドはまりして、本やら漫画を集めたり…それが今に役立ってるのかな?と思ってます。
現在、欠かさず読んでいるのが『龍帥の翼』。 司馬遼太郎の『項羽と劉邦』は有名ですが、劉邦の軍師となった張良が主役の漫画です。 頭が切れるのに、病弱で美形という少女漫画のようなキャラですが、史実ですからね。
マニアックな人間ですが、これからもよろしくお願いします。