怖いものなど何一つ無いような人間の唯一の弱点を《アキレス腱》と言いますね。
これは今回紹介する半人半神の英雄アキレウスにちなんだ呼び名です。
2004年(平成16年)に『トロイ』という映画がありました。
アキレウス役はブラッド・ピットでした。
鍛え上げた肉体に話題が集中していましたが、さてギリシャ神話でのアキレウスは一体どんな活躍をしたのでしょうか。
出生
アキレウスはプティア王ペレウスと海神ネレウスの娘テティスの間に産まれました。
この二人の結婚についてはいろいろエピソードがあります。
テティスは美しい女神でした。
モテモテだったのですが、実は「テティスは父親をしのぐ強い息子を産むだろう」という神託があったのです。
これを聞いたゼウスを始め、ポセイドンなど神々は彼女への求婚を諦めたのでした。
その代わりに、ゼウスは人間界でも有能で人格者のペレウスとの縁談を持ちかけたのです。
しかし、ゼウスに勧められはしたものの「人間の男となんて…」とテティスは嫌がりました。
そこでゼウスはペレウスをけしかけ、どこまでも、どこまでも彼女を追いかけさせたのです。
神に追い付く速力というのはどんなものか想像できませんが、ペレウスはテティスを捕まえ押し倒したとか。
女神はそれで諦めて、ペレウスに嫁ぐことを了承しました。
二人の結婚式はゼウス主催で華やかに開催されたのですが、招待されなかった争いの女神エリスが嫌がらせに黄金のリンゴを放り込み、ヘラ、アテナ、アフロディーテの《女の戦い》が始まろうとしたことはパリスやヘレネの章で説明しましたね。
これがきっかけでトロイア戦争が始まるのですが、実はアキレウスも従軍しています。
両親の結婚式からトロイア戦争勃発まではせいぜい数年でしょう。
結婚後、アキレウスがすぐに産まれたとしても、従軍時には《学徒出陣》にもならないほんの少年だったのではないかと思われますが、神の血を引く者は成長が早い!
ということで納得しましょう。
母の心遣いで不死身に?
テティスはアキレウスの血の半分が人間なので、息子の命に限りがあることを悲しみ、不死身にしてやろうと赤ん坊のうちから冥界を流れるステュクス川(仏教で言う三途の川)にその身を浸していました。
足首を持ち、体を逆さまにして頭からスクュテスの流れに漬けたと言います。
しかし、テティスが掴んでいた足首は水に漬からなかったので、この部分は不死にはなりませんでした。そしてアキレウスの唯一の弱点となってしまったのです。
アキレウスの鎧
鍛冶の神ヘパイストスが鍛えた鎧で、息子を心配する母テティスが贈ったものです。
どんな武器での攻撃も跳ね返してしまう強さを持ち、かつ軽やかに動けるという、とても有能な鎧だったそうです。
青銅で出来ているという説が有力ですが、黄金説、鉛説などもあります。
トネリコの槍、青銅の太刀、ゼウスから贈られた不死身の馬
両親の結婚式の際、ケイロンより贈られた。
射手座
母のテティスはアキレウスを養育しなかったそうです。
息子がかわいくなかったのではなく、夫への不満が原因だったのでしょうか?
父のペレウスはアキレウスをケンタウロスの賢者ケイロンに預け、教育してもらいました。
ケイロンは様々な英雄との交流がありましたが、その最期は思いがけないものでした。
ヘラクレスが誤って射た毒矢で命を落としてしまったのです。
かれの功績を認めたゼウスはケイロンを天に上げ星座にしました。
それが射手座です。
トロイア戦争に参戦
自分たちの結婚式での争いは当然ペレウスもテティスも知っていたでしょう。
パリスの審判があり、ヘレネが駆け落ちし、ギリシアとトロイアの間に戦争が始まる気配が高まってきました。
このときテティスは神託を受けました。
「そなたの息子アキレウスがトロイア戦争に参戦すれば、必ず死ぬ運命にある」というのです。
養育はしなかったが、やはり自分の息子は愛しいテティスは、アキレウスには兵法など何も教えないようにしていたのですが、本人は武術に強く、やがて「すごい若者がいる。テティスの息子アキレウスはすごい」などとギリシア中に名前が知れ渡ってしまいました。
何とかして戦争から息子を引き離しておきたいテティスは、息子を女装させて、スキュロス島へ送りました。
この島の数多くの王女たちの中に紛れ込ませ、少女として過ごさせていたのです。
さていよいよトロイアとの開戦が近づきます。
カルカスという予言者は「ギリシアが勝つためにはアキレウスが絶対参加しなければならない」と告げます。
ところが、手を尽くして探しても、アキレウスの姿はありませんでした。
アキレウスを戦に引っ張り出す役を担っていた切れ者として名高いイタケ王オデュッセウスは困り果てましたが、一計を案じて商人に変装してスキュロス島の城を訪問します。
彼は美しい宝飾品や衣装、生地などとともに武具を並べて王女たちに見せたのです。
女性たちは当然ながら宝飾品や衣装を喜んで選びましたが、一人の少女だけは宝石など無視して、武具に興味を示したのです。
これがアキレウスでした。
女装を見破られたアキレウスは母の心配をよそに「男なら武名を轟かせたいものだ」と考えていたようで、オデュッセウスの説得にあっさりと乗り、親友パトロクロスとともに戦場へと向かったのでした。
息子の意志を知ったテティスはせめてものお守りとして鍛冶の神ヘパイストスに作ってもらった鎧を贈り、神託が的中しないように祈ったとそうです。
戦場-その1
まんまとアキレウスを引っ張り出したオデュッセウス。
これでギリシア側の士気は大いに上がり、いざ出陣!という雰囲気になったのですが、なんと船出に不可欠な風がそよとも吹きません。
これはアルテミスが怒っていたためでした。
ここで再び予言者カルカスが言います。
「総大将アガメムノンの娘イフゲニアを神に捧げよ」と。
アガメムノンは駆け落ちしたヘレネの夫メラネオスの兄で、ミュケナイ王でした。
さすがに娘を殺すのは…
と抵抗したのですが、すでに軍容はしっかりと整い、風を待つばかりになっています。
自分を含め数多くの国が参戦しているのです。
今さら引くに引けない状況でした。
アガメムノンはミュケナイへ使いを出し、妻クリュタイムネストラにイフゲニアと共に来るように命じます。
「急なことだが、アキレウスとイフゲニアの縁談が調ったのだ」と偽りの理由を付けて。
驚きながらも「ギリシア中に名高いアキレウス様の妻になるのなら、良縁」とイフゲニアと共に喜んでやって来たクリュタイムネストラは非情な現実に向かい合うことになります。
自分を理由にされたアキレウスも憤慨し「王女を殺すのは許さない」とアガメムノンを非難しますが、どうにもなりませんでした。
おそらく10代前半であったイフゲニアは無残に殺され、その遺体を尻目に男達は異国へ略奪に出発したのでした。
このときのクリュタイムネストラが抱いた夫への不信、憎しみ、怒りが後にギリシャでも有名な悲劇をもたらすことになるのですが、それは別の章で紹介します。
イフゲニアの犠牲に関してアキレウスは直接は関わっていません。
しかし、目的のために、自分の娘を殺すアガメムノンや、妻と自分の面目を取り戻すため姪の殺害を受け入れたメラネオス達首脳陣に対する不快な思いを感じたことは確かでしょう。
戦場-その2
イフゲニアの犠牲も影響したのか、アキレウスとアガメムノンとはそりが合わなかったようです。
これまた女性が関係してくるのですが、彼はブリセイスという女性を寵愛していました。
アガメムノンも神官の娘というクリュセイスという女性を寵愛していたのですが、父である神官が「娘を帰してくれ」と懇願し、神託もあったので不承不承クリュセイスを父の元に帰したのです。
ところが「自分は帰したのにアキレウスは愛人を帰していないではないか」と不満に思い、ブリセイスを自分の陣に連れ去ったのです。
戦いの最中だと言うのに、何をやってるんでしょうね。
これに怒ったアキレウスは翌日からストライキを起こし、戦場へは出なくなりました。
英雄アキレウスの姿がないと知り、トロイア側は大喜びです。
戦況はギリシャ側の形勢不利となりました。
ここで登場するのがアキレウスの親友パトロクロスです。
アキレウスとは恋人同士の様に仲が良かった彼は、親友の鎧をまとい、戦場に出ました。
トロイア軍はアキレウスが復帰したと焦り、混乱します。
その隙にギリシャ軍は立て直すことができました。
しかし、好事魔多しと言います。
パトロクロスはトロイア最強の戦士と謳われた王子ヘクトル(パリスの兄)に討ち取られ、アキレウスの鎧まで奪われてしまったのでした。
親友の死を知ったアキレウスは自分の浅はかさをひどく後悔し、ヘクトルに対し憎しみをたぎらせ、仇を討つと誓い、戦場へ戻ります。
ヘクトルとの一騎打ちでは、師匠であるケイロンから授けられた槍でヘクトルの鎧の隙間を貫き、親友の敵討ちという誓いを果たしたのでした。
しかし、パトロクロスを失ったことに怒りが収まらないアキレウスは、ヘクトルの亡骸を戦車にくくりつけ、パトロクロスの墓の周囲で引きずり回すという非道な行いをしました。
「死者を辱めず」という言葉があります。
さすがの神々もこの所行には目を覆ったそうです。
トロイア側の味方だったアポロンは、せめてもの優しさとして、引きずり回されたヘクトルの遺体の損傷がひどくならないように、かばってあげたと言います。
その後、単身で自分の陣を訪れたヘクトルの父トロイア王プリアモスの懇願に心を動かされたアキレウスはヘクトルの遺体を返還することに同意したのでした。
ホメロスの叙事詩『イリアス』はこのシーンで終わりとなっています。
アキレウスの最期
ヘクトルという最強の戦士を失って動揺するトロイア軍。
アマゾンの女戦士ペンテシレイアとエチオピア王メムノンという力強い援軍が加わりましたが、やはりトロイア側の劣勢は変わりませんでした。
アキレウスは縦横無尽に戦場を駆け巡り、一騎当千の活躍をし「さすがは英雄」と人々の尊敬を集めました。
しかし、神託の示す彼の未来は動かなかったのです。
ゼウスの予知により、アキレウスの最期が来たと知ったアポロン。
もともとトロイア側の味方だった彼はパリスに協力し、彼の放った矢を導き、アキレウス唯一の弱点である右足首に命中させたのでした。
唯一の弱点を射貫かれたアキレウスは戦場に倒れ、絶命したのでした。
ヘクトル、アキレウスという武力派が退場したあと、オデュッセウスのような知略派が木馬という奇策を弄し、遂にトロイアは滅亡しました。
アキレウス(アキレス)~トネリコの槍、アキレウスの鎧を持つトロイア戦争の英雄~ まとめ
半人半神の英雄ではありますが、異母兄弟のヘラクレスなどと比べるとアキレウスの方がはるかに知性的ではあると思います。
ただし、ギリシアの神によくある激情家で後を考えないという性格が彼にもありますね。
ちなみにアキレウスはトロイア戦争に参加する前に既に子どもがいたと言われています。
その子ども-ネオプトレモスも神託により参戦することになり、その後の時代に深く関わることになります。
英雄の血は子々孫々まで、人間に影響を与えるものだと思わされますね。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
マイベスト漫画は何と言っても山岸凉子の『日出処の天子』連載初回に心臓わしづかみにされました。
「なんでなんで聖徳太子が、1万円札が、こんな妖しい美少年に!?」などと興奮しつつ毎月雑誌を購入して読みふけりました。
(当時の万札は聖徳太子だったのですよ、念のため)
もともと歴史が好きだったので、興味は日本史からシルクロード、三国志、ヨーロッパ、世界史へと展開。 その流れでギリシャ神話にもドはまりして、本やら漫画を集めたり…それが今に役立ってるのかな?と思ってます。
現在、欠かさず読んでいるのが『龍帥の翼』。 司馬遼太郎の『項羽と劉邦』は有名ですが、劉邦の軍師となった張良が主役の漫画です。 頭が切れるのに、病弱で美形という少女漫画のようなキャラですが、史実ですからね。
マニアックな人間ですが、これからもよろしくお願いします。