仏教徒の多い日本なら知らない人はいないはずのブッダ(仏陀)。
仏教の創始者であるはずのブッダがヒンドゥー教と関係あるのか?
と疑問に感じる方も多いでしょう。
筆者も謎でした。
ブッダとは?
インドのルンビニーで産まれた実在の人物で、本名はゴータマ・シッダールタと言います。
この名前で筆者が連想してしまうのが、光瀬龍のSF小説『百億の昼と千億の夜』に登場するシッタータ王子なのです。
言うまでもなくブッダのことなのですが、漫画化した萩尾望都の絵が美形過ぎて、シッタータ(シッタルタ)と言えば誠実そうな美青年のイメージになってしまいました。
仏教徒にとっては敬愛する開始者ですが、実はブッダはヴィシュヌの第9の化身とされているのです。
な、なんだってーーーー!と声を上げたくなった方もいらっしゃるのではないでしょうか?
実は筆者もびっくりした一人です。
しかし、ラーマやクリシュナなどの化身とは全く異なり、ヴィシュヌの化身としてのブッダはヒンドゥー教を否定するような、余り良くないイメージがついているキャラクターです。
古代インドの文献『バーガヴァタ・プラーナ』や『アグニ・プラーナ』によると、ブッダは、仏教を使って魔族アスラや巨人ダイティヤなどの神々の敵を間違った道へと導いた主犯者とされています。
その結果、彼らは【パーシャンディン=ヴェーダを尊重しない異端者】になってしまったのだと。
つまり仏教は、ヒンドゥー教徒を誤った道へ誘ってしまう悪い教えとして扱われているのです。
しかし、ヴィシュヌはヒンドゥー教の最高神ですから、ブッダ=ヴィシュヌが広めた仏教を自ら否定し、ヒンドゥー教へと導くために出現したのでしょう。
ブッダ(仏教)が否定的な存在とされる背景には、それ以前にインドを席巻していたバラモン教に対するヒンドゥー教と仏教の立位置の違いが関係していると思われます。
つまり、ヒンドゥー教はバラモン教の後継として誕生したようなものですが、仏教はカースト制を推奨するバラモン教の否定から生まれた宗教です。
仏教の隆盛がバラモン教衰退の一因にもなったとされていますから、バラモン教と相性の良いヒンドゥー教が仏教を認められるわけはありませんよね。
というわけで、ヴィシュヌの化身なのに、人々を間違った道へ誘うブッダの登場となったのです。
何と言いましょうか、自分たちの宗教勢力を拡大するために、あえて最高神の化身をおとしめ、後にすくい上げるというのはなかなかの策略ではないかと感じますね。
エンタメ世界のブッダ
『百億の昼と千億の夜』 光瀬龍
前述した光瀬龍のSF小説です。
難しい内容で、漫画から入った筆者も理解したという自信がありません。
世界を破滅に導こうとしている弥勒菩薩と、阿修羅やユダとともに戦う凛々しいシッタータ(シッダールタ)が見られますよ。
ちなみに阿修羅も中性的な美少女となっています。
『ブッダ』 手塚治虫
“漫画の神様”こと手塚治虫の長編漫画です。
仏教に関係した人にとっては必須の漫画なのか、お寺に置いてあるのを見たことがあります。
1972年から1983年まで10年以上に亘って連載され、現在でも人気の漫画だそうです。
架空の人物も入り交じっての手塚ワールドが展開します。
なお、2010年と2014年にアニメ映画が公開されました。
声優陣は吉永小百合、堺雅人などの俳優が採用されました。
ブッダ~ヒンドゥー教へ導くために出現した化身シッダールタ まとめ
イスラム教では【キリストもブッダもアラーの化身の一人】という考えがあるそうですが、ヒンドゥー教にもそんな考えがあったのかと驚きました。
ブッダをヴィシュヌの化身の一人と見なし、受け入れるということ(異教徒を信徒として認めること)は、よく言えばインド神話の懐の深さをよく表しているとも言えるかも知れません。
悪く言えばこじつけというか、強引すぎないかと思ってしまいます。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
マイベスト漫画は何と言っても山岸凉子の『日出処の天子』連載初回に心臓わしづかみにされました。
「なんでなんで聖徳太子が、1万円札が、こんな妖しい美少年に!?」などと興奮しつつ毎月雑誌を購入して読みふけりました。
(当時の万札は聖徳太子だったのですよ、念のため)
もともと歴史が好きだったので、興味は日本史からシルクロード、三国志、ヨーロッパ、世界史へと展開。 その流れでギリシャ神話にもドはまりして、本やら漫画を集めたり…それが今に役立ってるのかな?と思ってます。
現在、欠かさず読んでいるのが『龍帥の翼』。 司馬遼太郎の『項羽と劉邦』は有名ですが、劉邦の軍師となった張良が主役の漫画です。 頭が切れるのに、病弱で美形という少女漫画のようなキャラですが、史実ですからね。
マニアックな人間ですが、これからもよろしくお願いします。