『ザナドゥーへの道』というエッセイ集をご存じでしょうか?
中国文化史に造詣の深い中野美代子氏が作者です。
【西洋から見た東洋の姿】をモチーフにした短編集です。
『ザナドゥ』という言葉は、もともとはモンゴル帝国のクビライ・ハーンが避暑地とした上都が語源になっているそうです。
それが今や理想郷と呼ばれるようになったのはなぜでしょう?
ちなみに史跡上都は破壊され、荒廃が進んでいるそうですが、幸いなことに一部分は2012年に世界文化遺産に指定されたそうです。
欧米からの視線
以前『シャンバラ』の章でも触れましたが、中国や日本などの極東は20世紀まで欧米の人々にとっては大いなる謎であったようです。
鎖国をしていた日本はもちろんですが、中華思想の元に諸外国との交渉を狭くしていた中国は「一体どんな国なのか、どんな人間が住んでいるのか」とミステリアスな地域であったと考えられます。
清の時代に入り、半ば強制的に門戸を開かされた中国へ欧米から多くの人々が押し寄せました。
アヘンの煙に包まれた怪しげな上海、絶対権力者が君臨する首都北京、歴史が眠る西安など、多くの都市はエキゾチックな郷愁をかき立てたことでしょう。
欧米の人々が教科書としたのはあのマルコ・ポーロの『東方見聞録』だったようです。
ご存じと思いますが、ベネツィア出身のマルコ・ポーロは元帝国でフビライ・ハーンの元で長い年月を過ごしました。
彼は当然、皇帝フビライの避暑地=上都=ザナドゥの実態を知っていたでしょう。
彼がその目で見た上都(ザナドゥ)の豪勢できらびやかな館や庭園などが豊かな富を意味し、やがて理想郷となっていったのではないかと思われます。
クーブラ・カーン
サミュエル・テーラー・コールリッチというイギリスの詩人がいます。
彼は『クーブラ・カーン』という詩の中に、ザナドゥという名前の【歓楽の宮】を登場させました。
クーブラ・カーンというのは言うまでもなく、フビライ・ハーンのことですから、元の皇帝フビライが壮大な宮殿=ザナドゥを作らせたということが事実として知られていったようです。
聞いたこともない、見たこともない異国の宮殿。
コールリッチの詩を読んだ人々は想像力を働かせ、ありったけの壮麗な宮殿や都を思い浮かべたことでしょう。
鬼才オーソン・ウェルズ
ここで映画に登場する【ザナドゥ】について触れてみます。
名作『第三の男』の主演で監督を務めたオーソン・ウェルズの初期作品に『市民ケーン』があります。
公開は1941年(昭和16年)です。
実在した大金持ちの新聞王をモデルにし、その臨終から映画が始まりました。
そのため、新聞王の金にあかせた妨害もあって、興行的には散々だったそうです。
映画としても評価は高く、『第三の男』より『市民ケーン』の方が好きだという人もいます。
さて、【ザナドゥ】とは新聞王が謎の死を遂げた巨大宮殿のような大邸宅のことです。
金をふんだんに使い、宝石や花々で飾り立てた宮殿に、新聞王は愛人と暮らしていたのでした。
しかし、事業が傾き、頑固になった性格のせいで怒りっぽくなり、部下や友人は次々その元を離れていきます。
遂には愛人も去り、巨大な宮殿で新聞王は一人死んでいきます。
謎の言葉を残して(ネタバレになるので省略します)
いくら巨額な資産があっても、あの世に持って行けるわけではないし、逆に空しさだけが募っていったのではないかと思うのですが、どう感じますか?
ザナドゥ~モンゴル帝国クビライ・ハーンの避暑地が理想郷!?~ まとめ
エキゾチックな響きを持つ【ザナドゥ】確かに権力者にとっては壮大な夢の都だったでしょう。
しかし、それを建設するために動員された一般市民の思いはいかがなものだったかと考えると、現在のザナドゥ=上都の荒廃もうなずけるものがあると思われます。
永遠を信じて作ったという宮殿ですが、この世には永遠に残るものは存在しないのですから。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
マイベスト漫画は何と言っても山岸凉子の『日出処の天子』連載初回に心臓わしづかみにされました。
「なんでなんで聖徳太子が、1万円札が、こんな妖しい美少年に!?」などと興奮しつつ毎月雑誌を購入して読みふけりました。
(当時の万札は聖徳太子だったのですよ、念のため)
もともと歴史が好きだったので、興味は日本史からシルクロード、三国志、ヨーロッパ、世界史へと展開。 その流れでギリシャ神話にもドはまりして、本やら漫画を集めたり…それが今に役立ってるのかな?と思ってます。
現在、欠かさず読んでいるのが『龍帥の翼』。 司馬遼太郎の『項羽と劉邦』は有名ですが、劉邦の軍師となった張良が主役の漫画です。 頭が切れるのに、病弱で美形という少女漫画のようなキャラですが、史実ですからね。
マニアックな人間ですが、これからもよろしくお願いします。