神田紺屋町の様子

手練手管で男を騙す。
吉原の遊女、まして太夫であれば朝飯前のことでしょう。
そんな純愛とは無縁そうな太夫ですが、紺屋との恋愛物語を落語のモデルとなった、有名な太夫がいます。

5代目「高尾太夫」こと、紺屋高尾をご紹介したいと思います。

高尾太夫とは

江戸の吉原の太夫の称号で、11代続いたとされています。
名を継ぐにふさわしい、美貌と才知に優れた遊女が襲名していました。
最盛期には、2000人もの遊女を抱えたといわれる吉原遊郭でも、太夫になれる女性は200人に1人です。

公家や大名など、やんごとなき身分の人や、大店の主人といった富裕層が主な客でした。
一節によれば、下手な大名の正室よりも、教養があったとされています。
歴代の高尾太夫も、その例にもれず、大名の側室や妾として身請けされることも珍しくありませんでした。

そんな中、5代目高尾太夫を襲名した「紺屋高尾」は、別名「駄染(だぞめ)太夫」とも呼ばれています。
古典落語の主役として扱われたことから、一躍有名となった、異例の太夫です。

落語「紺屋高尾」のストーリーは

神田紺屋町の様子神田紺屋町に久藏という名の、まじめ一途な染物職人がおりました。
紺屋に奉公に入って以来、遊び一つせず勤めていた久藏でしたが、このところ三日も寝込んでいました。

親方が心配して、武内蘭石という医者を呼んでくると、久藏は「お医者さまでも、草津の湯でも…」と嘆きます。
そう、久藏は手の施しようがない恋の病を患っていたのです。
しかも、相手は吉原の名妓として名高い、5代目高尾太夫だったのです。

恋の相手が、大名や御大尽といった客を相手にする吉原の太夫では、高嶺の花もいいところです。
友人に誘われて見物にいった花魁道中で一目惚れをしてから、何を見ても高尾太夫が思い起こされると、久藏はがっくりした様子で語ります。

医者のくせに吉原での遊びを知り尽くしていた蘭石先生は、十両ほど準備することができれば、初会に呼ぶことぐらいはできると伝えます。

初会とは、客と太夫の初めての顔合わせのことです。
枕を交わすことはできず、ただ離れた場所から、太夫に品定めされるだけの席ですが、それでも通常の職人の三年分の稼ぎを必要としました。

初回で太夫に認められなければ、2回目以降のチャンスはありません。
3回目までこぎつけることができれば、ようやく床に入ることを許されます。

高尾太夫に会えるという希望を持った久藏は、たちまち元気になって精力的に働きはじめました。
あっという間に三年が過ぎ、九両の金を貯めた久藏に親方が一両足してくれ、念願の吉原行きが決まったのでした。

しかし、染物屋の職人では、太夫を指名する資格さえありません。
蘭石先生は、久藏を流山の御大尽として紹介し、太夫との初会を実現させました。
下手に口を開くと、正体がバレかねないので、久藏は相槌以外の会話も禁止されてしまいます。

久藏の何かが、太夫の心の琴線に触れたのか、「今度は、いつ来てくんなます?」とせがみます。
つまり、2回目以降もOKという許可をもらったことになりますね。
しかし久藏はしがない職人、会うためには、また三年もの月日をかけて金を貯めるしかありません。

感極まった久藏は、ついに口を開き、これまでの経緯を太夫に説明します。
御大尽ではなく、ただの染物職人であることも、泣きながら打ち明けていきました。

すると高尾太夫は、「卑しい遊女の身である自分を、三年もの間、想い続けてくれたなんて」と、久藏の想いに感激します。
そして、来年の三月十五日になったら年季が明けるから、久藏の女房になりたいと申し出てくれたのです。

憧れの高尾太夫が嫁に来る!と張り切った久藏は、それまでにも増して働き出します。
そんな久藏の様子を、周囲の人間は「遊女の言葉に真実なんてあるわけがない」と、憐れんだ様子で見ていました。

しかし、運命の三月十五日。
遊女の衣を脱ぎ捨てた高尾太夫が、やってきたのです。
二人の橋渡しをしてくれた蘭石先生に仲人を頼み、夫婦となりました。
そして、染物屋として独立した後に、「駄染め」という染め物を開発し、いつまでも睦まじく暮らしたのでした。

五代目紺屋高尾 まとめ

落語の紺野高尾と久藏のラブストーリーはフィクションですが、「駄染め」は実在しました。
太夫が紺屋に身請けされた後に作った、量産の染色方法で染めた手拭が大流行し、駄染太夫の名称の由来となりました。