ギリシャ神話の中で最も有名なエピソードと言ったらやはりトロイア戦争ではないでしょうか?
ホメロスがトロイア戦争を描いた長編叙事詩『イーリアス』ではアキレウスを始め、オデュッセウスやアガメムノンなど多彩な人間たちが活躍しますが、その中でトロイア側で唯一と言っても良いほど華々しくカッコよく描写されたのが今回紹介する【ヘクトル】です。
トロイアの優秀な王子
ヘクトルはトロイア王プリアモスとヘカベーの間の長子で、妻はアンドロマケーです。
誠実な性格と勇猛果敢な戦士としても名高く、トロイア随一の勇士と呼ばれていました。
事実、トロイア戦争では総大将となり、陣頭指揮を取り、あのアキレウスとも台頭に渡り合ったとされています。
アンドロマケーが「私にとってあなたは夫であり、父なのです」とヘクトルに言ったという記載を見た覚えがありますが、頼りがいのある優しい夫だったのだろうと想像できるエピソードですね。
穏やかに妻子やトロイア王家の後継者として過ごしていたヘクトルの日常を打ち破ったのが【不肖の弟】パリスの登場でした。
恋に溺れた弟
トロイア戦争の原因の一つに挙げられるのが【パリスの審判】です。
改めて説明する必要もないと思いますが、ゼウスの妻ヘラ、知恵の女神アテナ、美と愛の女神アフロディーテの3女神の内で一番の美女を決める審判がパリスという青年にゆだねられました。
3女神はそれぞれ賄賂でパリスを懐柔しようとしましたが、彼が選んだのは「世界一の美女を与える」と言ったアフロディーテでした。
パリスはそのご褒美としてスパルタの王妃ヘレネと恋に落ちます。
「アフロディーテ様の魔法によって恋してしまったのです…」などと後にヘレネは言い訳していますが、自分より年上で結婚後何年も連れ添った夫より、若いイケメンのパリスに惹かれたというのが本当のところだと思います。
とにもかくにも、ヘレネは夫メラネーオスが留守の間に一人娘を置いてパリスとともにスパルタを逃げ出します。
二人の駆け落ち先はパリスの古郷トロイアでした。
実はパリスは生まれてすぐに山中に捨てられた子どもでした。
「この子はトロイアに災いをもたらす」という予言があり、母親のヘカベーは涙を呑んで我が子を捨てたのです。
成長したパリスは自分の出生を知り、王宮へやって来ました。
ここでヘカベーは自分にしかわからない証拠を発見し、パリスを息子と認めたのです。
予言のことは気になりましたが、見事に成長した若者を手放すことはできなかったのです。
めでたく王家の一員に復帰したパリスの最初にやったことが、他国の王妃との駆け落ちでした。
「パリス、山の中で死んでりゃ良かったのに…」と思うトロイアひいきは筆者だけではないと思います。
妻に逃げられたメラネーオスは怒りました。
面目丸つぶれですからね。
この怒りを利用したのがメラネーオスの兄でミュケーナイ王アガメムノンでした。
トロイアの豊かな財宝を狙っていたアガメムノンは他国を巻き込み、アキレウスなどの神の血を引く英雄も強引に仲間に引き入れ、トロイアへの遠征を開始したのです。
10年以上に亘るトロイア戦争の始まりでした。
トロイア側の希望
ヘクトルには数多い弟妹がいました。
しかし、父王プリアモスにとってはヘクトルこそが頼みの綱でした。
ギリシャ側の兵士達も、ヘクトルが戦場に現れると恐れをなして逃げ出す者も多かったようです。
人妻と駆け落ちするという愚かな弟には文句の一つも言ったでしょうが、原因となったヘレネには何も言わず、温かく迎え、丁重に扱ったと言われています。
性格的にも公平で優しく、かつ戦士としても非常に優秀、もちろん容姿も優れていたでしょう。
ヘクトルに人々の希望が集まったのは当然でした。
しかし、そのヘクトルが倒れたとき-彼の故郷であるトロイアも最期の時を迎えることになったのです。
アキレウスの激怒、暴虐
神の血を引く英雄アキレウスはトロイア戦争に参戦する気はありませんでした。
ところがオデュッセウスにだまされ参加する羽目になったのです。
彼は親友(と言うよりほとんど恋人)のパトロクロスと共に戦陣に立ったのですが、アガメムノンとの諍いがあったため、アキレウスがストライキをした時期がありました。
この期間にパトロクロスはアキレウスの兜を身につけ、パリスと戦ったのです。
アフロディーテの加護のおかげで、パリスはパトロクロスを倒しました。
さて、親友の死に激怒したのがアキレウスです。
敵討ちとばかり、ヘクトルに戦いを挑みました。
力と力の争いだったら互角だったでしょう。
しかし、二人には神々が味方に付いていました。
ゼウスの「ヘクトルの運命は尽きた」という言葉にヘクトルの味方だったアフロディーテが加護を解いたため、彼はアキレウスの剣に倒れてしまったのです。
死の間際ヘクトルは「自分の遺体をトロイアに返してくれ。辱めるようなことはしないでくれ」と彼の母女神テティスの名を上げて頼んだのです。
しかし英雄は「おまえの死体を引きずってトロイアの人々に見せつけてやる」と冷たく言い放ちました。
トロイアの希望ヘクトルは悲嘆のうちに死んだのです。
彼自身、自分が背負った荷の重さは痛感していたでしょう。
だからこそ、己の死によってトロイアが、両親が、妻子がどんな目に遭うかと考えれば、死んでも死にきれない無念の思いだったと想像します。
傲慢なアキレウスは言葉通り自分の馬車にヘクトルの遺体を結びつけ、トロイアの城壁の回りを引きずり回しました。
この様子を老いた父プリアモスとヘカベーは号泣しながら見つめていたと言います。
さすがにアキレウスの暴虐に眉を顰めたアフロディーテが魔法でヘクトルの遺体を守り、息子の遺体を引き取りに行こうとするプリアモスをアポロンが守りました。
頼りがいのある優しい夫の遺体を見た妻のアンドロマケーは何を思ったことか。
自分もですが、手に抱いた幼子の運命はどうなることか-さぞかし不安だったでしょう。
事実、トロイア戦争終結後、ヘクトルの忘れ形見を無残に殺されたアンドロマケーにはアキレウスの息子の愛妾にされるという屈辱的な運命が待っていたのでした。
ヘクトル~プリアモス王の頼みの綱となったトロイアの英雄~ まとめ
筆者の中では、ヘクトルはギリシャ神話に登場する人間の男ではトップクラスのいい男です。
顔よし、性格良し、体力有り-全く持って申し分ない男性だったのに、ああもったいない。
つくづく神々の勝手さ(トロイ戦争は増えすぎた人間の人口を減らすためとも言われています)と諸悪の根源のバカ弟=パリスに腹が立ちます。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
マイベスト漫画は何と言っても山岸凉子の『日出処の天子』連載初回に心臓わしづかみにされました。
「なんでなんで聖徳太子が、1万円札が、こんな妖しい美少年に!?」などと興奮しつつ毎月雑誌を購入して読みふけりました。
(当時の万札は聖徳太子だったのですよ、念のため)
もともと歴史が好きだったので、興味は日本史からシルクロード、三国志、ヨーロッパ、世界史へと展開。 その流れでギリシャ神話にもドはまりして、本やら漫画を集めたり…それが今に役立ってるのかな?と思ってます。
現在、欠かさず読んでいるのが『龍帥の翼』。 司馬遼太郎の『項羽と劉邦』は有名ですが、劉邦の軍師となった張良が主役の漫画です。 頭が切れるのに、病弱で美形という少女漫画のようなキャラですが、史実ですからね。
マニアックな人間ですが、これからもよろしくお願いします。