いつの時代も、占星術や魔術といった神秘的な出来事は、人々の心を魅了します。
そんな神秘を解明すべく設立されるのが、神秘主義団体です。
なかでも、近世最大と呼ばれた団体は、一人の女性の手によって設立されました。
発明王トーマス・エジソンを始め、数多くの知識人を虜にした、「神智学協会」の設立者ブラヴァツキー夫人です。
神智学協会とは
神智学協会は、1875年にヘレナ・P・ブラヴァツキーが、夫であるヘンリー・スティール・オルコット大佐と共に設立した、神秘主義の団体です。
人間の内なる神秘の研究と解明を目的とし、大学教授、霊媒師、フリーメイソン、弁護士など、多様な肩書を持つ18名の会員で発足。
初期のメンバーには、発明王トーマス・エジソンも含まれていました。
神智学協会の目的は、時代の流れとともに、いくつかの変遷を遂げています。
1877年に、神智学協会が出版した「Isis Unveiled(ヴェールを剥がれたイシス)」がヒットするまでは、ユダヤ伝統の神秘主義思想カバラや、エジプト神秘主義の色が濃いものでした。
「Isis Unveiled」の出版以降は、東洋の宗教思想への転換が見られます。
「Isis Unveiled」のヒットは、神智学協会の知名度を挙げ、活動を躍進させただけではなく、当時のオカルト業界に大きな影響を与えた出版物でもあります。
そして、「Isis Unveiled」の著者こそが、ブラヴァツキー夫人だったのです。
ブラヴァツキー夫人の経歴: 幼少期~結婚
ブラヴァツキー夫人は、1831年にドイツ系貴族の父と、ロシア建国者の血をひく名門の出である母との間に、ウクライナで生まれました。
幼少期の姓は、「フォン・ハーン」となります。
祖母に博物学者、従兄弟にロシア首相と、家系を辿るだけでも、相当な知識人であったことが分かる人物です。
幼いころから、精霊の存在を信じ、神秘的なものに惹かれる性格だったと言われています。
ブラヴァツキー夫人となったのは18歳のときで、相手は20歳以上も年上の男性でした。
アルメニアのエレヴァン市で、副知事を務めるブラヴァツキー氏と結婚したのです。
しかし、夫婦の折り合いは芳しくなく、わずか数ヶ月で破綻してしまいます。
正式に話し合って別れたわけではなく、婚家から家出し、消息を絶ってしまったのです。
そのため、離婚が困難になり、生涯ブラヴァツキーの姓を名乗り続けるようになります。
神智学協会を共に設立した、後の夫であるオルコット大佐と姓が異なるのは、そんな理由があったからなんですね。
1848年の家出後からの、夫人の足取りは謎に包まれています。
イギリス人船長と愛の逃避行に走ったとも、著名な魔術師に弟子入りしていたとも囁かれています。
消息を絶ってからの24年の間に、神秘思想に関する知識を深めていたのだと考えられます。
夫人は、霊媒師としての才覚を発揮し、ヨーロッパ各地を巡りながら、1973年にアメリカへと渡りました。そして、人生のパートナーとなるオルコット大佐と出会います。
ブラヴァツキー夫人の経歴: 協会設立後
1875年に、夫であるオルコット大佐と神智学協会を設立したブラヴァツキー夫人は、著書のヒットなどを経て、知名度を上げていきます。
著書の発表の後は、東洋思想を追求すべく、協会の本部と共にインドへと移転しました。
インド思想も取り入れた神智学協会は、現地でも歓迎され、夫人は新たな段階へと足を踏み入れます。
インドでの滞在において、人間としての進化系であり、偉大な魂を得た「マハトマ」という存在と出会ったのです。
マハトマの守護を得たブラヴァツキー夫人は、偉大な魂を持つ存在と、空中から出現した手紙でやり取りを行うという奇跡を体現するようになりました。
この手紙は、後に「マハトマ書簡」と呼ばれるようになります。
しかし、1882年に、空中から出現する書簡はインチキであるという風評が流れます。
噂の出処が協会本部を解雇された職員であったことから、逆恨みの告発であるという見解もあり、大きな騒動となりました。
結果的には、数々の霊媒トリックを暴いた実績を持つ、「心霊現象研究協会」のメンバーが本格的な調査に乗り出しました。
そして、マハトマ書簡は、仕掛けを利用した偽装であるという結論が出されてしまったのです。
根拠としては、書簡の筆跡が夫人と同一であり、よく書簡が出現する場所には、仕掛けがあったことを指摘しています。
マハトマ書簡の真偽に関しては、後に「心霊現象研究協会」が筆跡の根拠を撤回し、ブラヴァツキー夫人の死後に謝罪したとも伝えられています。
ブラヴァツキー夫人の経歴: 晩年
体現していた奇跡を、仕掛けのある偽装と結論づけられたブラヴァツキー夫人は、スパイの容疑までかけられたため、インド滞在を中断せざるを得ませんでした。
失意のなか、ヨーロッパを放浪しますが、神智学協会で築き上げた彼女の叡智を求める人は数多くいることに気づきます。
さまざまな支持者の協力を得て、晩年はイギリスのロンドンでの活動を行っています。
彼女の叡智を後世に残さんとするかのように執筆活動にも励み、「ルシファー」という機関紙の創刊、「The Secret Doctrine(秘密教義)」という著書の発行が成されました。
とくに「「The Secret Doctrine」は、古代文明アトランティスや、古代ヒンドゥー教など、古今東西のオカルティズムを凝縮させた内容が人気を呼び、20世紀の大衆オカルティズムの流行の下地になったとも言われています。
死の2年前にも、「神智学の鍵」という著書を出版するなど、最後まで神秘主義の活動を貫いた夫人ですが、その生涯は59年という短いものでした。
患っていた心臓病や腎不全などの合併症が原因で、ロンドンで亡くなっています。
しかし、彼女の影響力は、そこで尽きることなく、後世のオカルティズムに様々な形で関与しています。
多くの神秘思想家が、ブラヴァツキー夫人の著書に傾倒することで、無数の神秘団体や、新宗教設立のきっかけを与えたのです。
一説によると、ドイツのヒトラーが掲げた「アーリア人至上主義」も、夫人の著書からインスピレーションを得たとも言われています。
エンタメ世界のブラヴァツキー夫人
秘密結社を結成している神秘主義者たちは「知る人ぞ知る」人物といえるのではないでしょうか。
有名どころのアレイスター・クロウリーやブラヴァツキー夫人でも知らない人はたくさんいますよね。
しかし、このブラヴァツキー夫人を一気に有名にしたのは何と言っても「FGO」でしょう。
FGO (Fate/Grand Order)
FGO (Fate/Grand Order)ではエレナ・ブラヴァツキーという名で登場します。
ヘレナのスペルは”Helena”ですから、”H”を読まずにエレナとしたのでしょう。
ショートカットの可愛い女の子で、ちょっとエロチック。
サポート役のキャラクターとして万能であると評価が高いキャラです。
他のゲームでいう「必殺技ゲージ」のような役割をもつ”NP”を増やしてくれるという「魔力同調」というスキルを持ちます。
また、「未知への探求」というスキルも所持しており、これもブラヴァツキー夫人らしいスキルなのではないでしょうか。
ブラヴァツキー夫人|エジソンを虜にした神智学協会の逸話 まとめ
大衆だけでなく、数多くの知識人や歴史の重要人物に影響を与えたブラヴァツキー夫人。
彼女の名声は、亡くなった後も衰えることを知りません。
偉大な魂の持ち主として、現在の神秘団体を見守っているのかもしれませんね。
サイト管理者の喜多川阿弥と申します。
最近は、スマホで遊べるゲームしかやっていないのですが、そもそもゲームにハマッたのは当時X-1 turbo III でやっていた『ウィザードリィ』シリーズでしたね。
『ウィザードリィ』でファンタジーものに興味をもってからは、友人が私の家に持ち込んだ『D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)』というテーブルトークRPGでした。
これにはハマッてしまい、学校も休んでシナリオを書いていたのを覚えています。
その後は、プレステの『女神異聞録ペルソナ』がすごく好きになってしまって、メガテンシリーズをさかのぼってプレイしていました。
オンラインでは『ディアブロ』、『ウルティマオンライン』をよくやっていましたね。
過去を辿ると歳がばれてしまいますが、私はゲームやアニメでファンタジーや神話の世界に登場するアイテムやモンスターを知ることになりました。
しかし、名前は知っていてもそれがどんな物語なのか解りませんでした。
後にそれらの物語を調べているとすごく面白かったので、皆さんにも知っていただけたらと思い、このサイトを始めました。
もっと詳しい話を知っている方も多いとおもいます。
みなさんどしどしコメント残してくださいませ。