少し前一世を風靡した少女漫画家集団CLAMPをご存じの方は大勢いらっしゃると思います。

彼らのメジャーデビュー作『聖伝』は今までにない展開と世界観で非常に大きなインパクトを漫画界や読者に与えました。

その主人公の一人が幼い少女とも少年とも見まごう姿の阿修羅でした。

 

阿修羅とは?

阿修羅(モンスト)元は古代インドの神様で、インド語読みは「アスラ」と言いました。

その読みから、日本では「阿修羅」という漢字があてられたと思われます。

それぞれの単語について説明しますと、【アスラの「ア」は否定】を意味しています。

また【「スラ」は「神」と「酒」】という二つの意味を持っているそうです。

三面の違った顔を持つ怖い神が阿修羅です。

今では阿修羅は悪神の一人とされていますが、なぜそうなったのか理由がかわると、むしろ善神ではないかと思うのです。

阿修羅とは、もともとバラモン教の邪神で、最初は仏教の邪魔をする悪神の一人でしたが、後に仏教に帰依して、お釈迦様の眷属の天竜八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)の一人となったそうです。

その姿は邪神当時のままに三つの顔と六つの手を持っているのです。

仏教に帰依以来、仏法の守護神としての役割を担っている阿修羅ですが、その一方で、鬼神としても扱われているのです。

六道(ろくどう。仏教上の輪廻の六つの世界)のうち、修羅道というのは、この阿修羅に由来しているのです。

修羅道は、人間道よりワンランク下の世界で、羅喉羅修羅王(らごら)、娑婆羅修羅王(しゃばら)、踊躍修羅王(ゆやく)、毘摩質多羅修羅王(びましつたら)の4人の修羅王(しゅらおう)が支配している世界と言われています。

その中の羅喉羅修羅王が、阿修羅と同一神とされているのです。

4人の修羅王は、東西南北の海を支配し、水中には七宝造りの荘厳で美しい大宮殿を構えているそうです。

横道にそれてしまいますが、修羅王という字を見ると筆者は平成初期のテレビアニメ『天空戦記シュラト』を思い出してしまいます。

主役のシュラトは人間界から天空界へ転生し、【修羅王シュラト】となり、一緒に転生した【夜叉王ガイ】と戦うことになってしまう…

という仏教やヒンディー教などが入れ乱れる設定のドラマでした。

『聖闘士星矢』などのパクリとも言われましたが、マニアックなファンの多いアニメでした。

元に戻って、阿修羅は元々は天界の頂上である忉利天(とうりてん)という所に住んでいて、帝釈天のもとで正義を司っている神でした。

ところが、ナゼか支配している帝釈天と何回も戦い、負けて追放されてしまったのです。

言うなれば帝釈天は上司ですから、上司とケンカした部下が会社を追い出されるのは当然ではないかという気がします。

ではなぜ、帝釈天と戦うことになってしまったのか、それを次に紹介しましょう。

 

修羅場の由来

阿修羅進化(モンスト)実は阿修羅には溺愛している舎脂という、美しい娘がいたそうです。

この娘に、なんと帝釈天が一目ぼれしてしまったとか。

阿修羅も最初は「わが娘が帝釈天様のお目に留まったのは非常に名誉なことである」と喜んでいたのですが、よくよく考えると帝釈天は粗野な性格で、一説では494,900人もお妃がいたそうです。

権力者が愛人を山ほど作るというのはよくあることですが、当事者からしたら「とんでもない」ことですよね。

阿修羅が帝釈天の要請を渋るようになったのは納得できることです。

ところが、帝釈天は我慢できない。

ある日舎脂をさらって自分の宮殿に連れ込んでしまったのです。

愛娘が略奪されたことを知った阿修羅は怒りを爆発。

もともと正義の神様ですから、上司の横紙破り行動が許せずはずはありません。

勝ち目がないとわかっていても、無謀な戦いを挑むのでした。

当然、武勇無双であり、権力者として味方の多い帝釈天には敵いっこはありません。

やがていつの間にか阿修羅は【戦うことそのものに「執着」するようになり、止めるに止められない】というにっちもさっちもいかない状態に陥りました。

こういう状態を『修羅場』と呼ぶようになり、泥沼にはまったような争いごとを称して「修羅場」と呼ぶのは、これが由来なのです。

阿修羅は、帝釈天に何度も何度も戦いを挑むうちに、許す心を無くし鬼神と化して天界を追われてしまいました。

そんな理由があるせいなのか、阿修羅像の表情はどこか悲しげに見えますね。

ちなみに舎脂は『聖伝』では阿修羅の母で、先代の阿修羅を裏切り帝釈天の元に走った非道い女(今で言うビッチ)となっています。

でも美人ですよ。

 

国宝興福寺阿修羅像の三面六臂の意味

阿修羅像(興福寺)少年とも少女とも見える興福寺の阿修羅像はとても人気がありますよね。

この阿修羅像で説明したいと思います。

阿修羅は憤怒の表情をしているものが多いのですが、興福寺の像はちょっと違った感じがします。

  • 正面: 仏の教えに出会った瞬間と言われ、驚きと嬉しさが混じった表情のようです
  • 左側: これまでの己を後悔している或いは過ちを認めることができない姿とされ、唇をかみしめている人間的な表情ですね
  • 右側: 人間達を哀れんでいる、或いは懺悔をしている姿とされ、悲しげな表情をしています

また、左から右、右から正面へと阿修羅の成長過程が表されているという説もあります。

現在の興福寺の阿修羅像は手に何も持っていないのですが、興福寺曼荼羅によると昔は次のものを持っていたそうです。

  • 第一組の手: 合唱(何も持たない)
  • 第二組の手: 左手に日輪、右手に月輪を持つ
  • 第三組の手: 左手に弓、右手に矢を持つ

よくよく見ると阿修羅像の顔には幼さが残り、子供の様に細い腕をしているということに気がつくでしょう。

興福寺の阿修羅像を作らせたのは、聖武天皇の皇后だった藤原氏出身の安宿媛(光明子)です。

711年に母を亡くし弔いのために西金堂を建て仏像を安置しました。

本尊は釈迦如来像で、周りを十大弟子と八部衆が守る形になっています。

阿修羅像は、この八部衆の一体として作られたのです。

実は安宿媛は母親を亡くす直前に、生後間もない皇子を亡くしています。

彼女が皇后となることについてはいろいろな批判があり、それを踏みつぶしての立后だったので、自分の地位を盤石なものにするためにも是非とも必要な男子でした。

事実、この子は幼児なのにさっさと立太子させているのです。

この大切な男子が死んでしまったということは、天皇はもちろん、安宿媛の嘆きと悔しさはすさまじかったでしょう。

余談ながら、これが後に敵勢力(皇族勢力)排除の陰謀にもつながり、藤原一族の権力掌握を確実なものにしたのです。

興福寺の八部衆はこの阿修羅以外も、まるで子供の様な姿をしています。

理由は定かではありませんが、成長する仏や人間の姿をかたどったとも言われていますし、藤原氏の力を背景にした安宿媛に媚びたのかも知れませんね。

 

阿修羅~修羅場の語源となった悲しき三面六臂の鬼神~ まとめ

CLAMPの『聖伝』では先代阿修羅と帝釈天の驚く因縁が戦いの原因となっていました。

ネタバレはしませんが、そんなことがあったとしてもおかしくないと思うほど、人間的な神々だと思います。