ミュケナイ王家の姫イフゲニア。
父親はアガメムノン、母親はクリュタイムネストラと言われていますが、父親はアガメムノンではないという説もあります。
それが後々に深く関わってくることになるのですが…
大変な美少女だったと言われる彼女もトロイア戦争の犠牲者でした。
古代ギリシャの作家エウリピデスの作品に『アウリスのイフゲニア』という有名な悲劇があります。
若く美しい姫の悲劇は多くの人々の注目を引くらしく、ギリシャでは何回も舞台化されているそうです。
アガメムノンの参戦
トロイア戦争の発端は言うまでもなく、トロイア王家のパリスがスパルタ王妃ヘレネと駆け落ちしたことでした。
ヘレネの夫メラネオスはアガメムノンの弟、そしてヘレネはクリュタイムネストラの妹であり、ミュケナイとは二重の縁で結ばれた親戚でした。
その昔、ゼウスの娘とされる美貌のヘレネには求婚者が山ほど現れました。
その中からメラネオスを選んだのですが、その時「ヘレネに何かあったら、求婚者達は協力して救い出すこと」というテンダーレオス(ヘレネ、クリュタイムネストラの父)の掟が結ばれました。
その掟を盾にヘレネの求婚者達が招集され、ギリシャ軍が編成されました。
「義妹を連れ戻し弟の面目を回復する」-という体の良いお題目を唱え、アガメムノンはギリシャ軍の総大将となりました。
しかし彼の本音はトロイアの財宝を略奪することだったのは誰の目にも明らかでした。
妹の軽はずみな行為に怒りを覚えながらも、クリュタイムネストラは長女イフゲニアや次女エレクトラ、長男オレステースなどと夫の出陣を見送ったことでしょう。
この戦いが10年の長きに渡り、その結果自分も夫も思いがけない運命に陥ることなど想像もせずに。
アルテミスの怒り
ギリシャの大軍をひきいたアガメムノンは意気揚々と一気に攻め込むつもりでした。
ところがアウリスの海岸に集結したものの、そよとも風が吹かず、大船団は出港できなくなったのです。
どうしたのかと神官カルカスに問うと「総大将殿がアルテミス神のお怒りに触れた」と言うのです。
「アルテミス神の怒りを解くには、あなたの長女イフゲニア姫を生け贄として捧げるしかありません」と恐ろしい言葉が続きました。
我が子を犠牲になどできぬ-アガメムノンは一旦は拒絶します。
しかし、風は一向に吹かず、大勢の兵士達の緊張も緩み、軍中には不穏な空気が漂い始めたのです。
兄の逡巡を見たメラネオスは、姪の犠牲もやむを得ぬとアガメムノンの説得にかかります。
元々は自分の妻の不始末が原因なのに、何の罪もない少女を殺すことを厭わないメラネオスの冷酷勝手な言いぐさに腹が立ちますが、結局はアガメムノンも折れました。
ギリシャ中の国々から集めた軍を解散したら、自分の威信にもかかわるどころか、命すら危険な状態だとわかっていたからです。
偽りの婚礼
アガメムノンは妻クリュタイムネストラに手紙を書きます。
「急なことだが、イフゲニアとアキレウスの婚礼が決まった。すぐに連れてくるように」
突然の知らせにクリュタイムネストラもイフゲニアも驚きます。
戦時だというのに、婚礼とは?
不審に思ったことでしょうが、相手はギリシア中に名高い英雄アキレウス。
イフゲニアも若い娘としてほのかに憧れていたのではないかと思われます。
そのアキレウスの妻になる-少女は嬉しかったことでしょう。
娘の様子に母も安心し、精一杯の仕度を調えてアウリスへ向かったことは間違いないと思います。
この旅にはオレステースも同行したと言われています。
ところが、アウリスへ付いた一行を待っていたのは、婚礼は婚礼でも、ハデス(冥王)との婚礼=死でした。
頬を染めて英雄アキレウスと会うことを楽しみにしていた少女の顔は青ざめ、倒れんばかりだったと言われています。
そしてクリュタイムネストラの驚きと怒りは娘以上でした。
嘘をついて娘をおびき寄せたのは、生け贄として殺すためだった-自分の血を分けた娘をみすみす殺させるわけにはいかない。
クリュタイムネストラは大声で夫を非難したと言います。
きっと彼女の怒りは義弟メラネオスにも向かったことでしょう。
「あなたにも娘ヘルミオネがいるでしょう。どうしてヘルミオネでなく、イフゲニアが犠牲にならねばならないのか。犠牲になるならヘルミオネであるべきだ!」
母親としての怒りは男たちに踏みつぶされました。
アキレウスはアキレウスで自分の名前を持ち出されたことに怒り、初めて会ったイフゲニアにも同情し、アガメムノン達を非難しイフゲニアを守ろうとします。
しかし、多勢に無勢、アキレウスとて大勢の兵士達に詰め寄られたらあらがうすべはありません。
神の子であっても、アキレウスは普通の人間で巨人や怪物ではないのですから。
自分の命と引き換えに風が吹くなら-多くの兵士達が救われるなら-少女は従容として生け贄になることを受け入れ、祭壇に登ったと言います。
また別の話では、恐怖に気を失った状態で祭壇に乗せられ、喉を掻ききられたとも言います。
いずれにしても、イフゲニアはギリシア軍兵士達の面前で殺されました。
彼女が息絶えた途端、風が吹き始め、船団は次々とトロイアの略奪に出航したそうです。
男たちがいなくなった砂浜に残ったのは、血にまみれた少女の遺体と、呆然とたたずむ母親の姿でした。
もし、オレステースがこの場にいて姉の死と母親の嘆きを目撃していたら、その後の悲劇の色も変わっていたと思います。
クリュタイムネストラは夫への憎しみをたぎらせながら、イフゲニアの遺骨を抱いてミュケナイへ帰ったのでした。
ちなみにアルテミスの怒りの理由はわかっていません。
ただ好色なアガメムノンが女性関係のことで処女神であるアルテミスを侮辱するようなことをしたのではないかという説が有力です。
またイフゲニアが殺される瞬間、アルテミスは彼女を鹿と入れ替え自分の手元に連れ帰ったと言われています。
アガメムノンは娘を殺さずに済んだ…と安心したとか。
このあたりも、身勝手なアガメムノンの性格が窺われるエピソードではないでしょうか。
イフゲニア~呪われたミュケナイ王家最大の悲劇~ まとめ
ギリシャ神話には数多くの悲劇がありますが、イフゲニアのことはその中でも悲劇中の悲劇と言えるのではないでしょうか?
前述しましたが、イフゲニアはアガメムノンの娘ではないという説が正しく、アガメムノンもそれを知っていたとしたら、男にとっては無関係の若い娘を殺すことにためらう必要はなかったはずです。
しかしクリュタイムネストラにとっては娘であることはまちがいありません。
この父と母の関係性が【呪われたミュケナイ王家最大の悲劇】をもたらす一因になるのです。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
マイベスト漫画は何と言っても山岸凉子の『日出処の天子』連載初回に心臓わしづかみにされました。
「なんでなんで聖徳太子が、1万円札が、こんな妖しい美少年に!?」などと興奮しつつ毎月雑誌を購入して読みふけりました。
(当時の万札は聖徳太子だったのですよ、念のため)
もともと歴史が好きだったので、興味は日本史からシルクロード、三国志、ヨーロッパ、世界史へと展開。 その流れでギリシャ神話にもドはまりして、本やら漫画を集めたり…それが今に役立ってるのかな?と思ってます。
現在、欠かさず読んでいるのが『龍帥の翼』。 司馬遼太郎の『項羽と劉邦』は有名ですが、劉邦の軍師となった張良が主役の漫画です。 頭が切れるのに、病弱で美形という少女漫画のようなキャラですが、史実ですからね。
マニアックな人間ですが、これからもよろしくお願いします。