ダレイオス3世~アレキサンダー大王に敗れたペルシャの国王~

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ダレイオス3世

アケメネス朝ペルシャの王にはダレイオスという名を持つ者が複数いますが、一番有名なのはダレイオス3世でしょう。

そう、彼はあのアレキサンダー大王と戦い、破れ、ペルシャ帝国最期の国王となった人物です。

神話から歴史へ

古代史を学んでいると、ある時期から“神話が歴史になった”と感じるポイントがありませんか?

それがマケドニアの若き帝王“アレキサンダー大王”の登場です。

存在が不明瞭な神々やエジプトのファラオ達の時代から、存在が確認されているアレキサンダーの名が教科書に登場すると、本格的に世界史の授業が始まったと感じたものでした。

古代王朝によくあったように、アケメネス朝ペルシャでも王位簒奪に伴う暗殺は日常茶飯事でした。

ダレイオス3世はもともと王位継承者では無かったのですが、他の者が急死したため、急遽王位に担ぎ上げられた人物でした。

利用価値があると王にさせられたのでしょうが、反対に彼を快くなく思う者もいたわけで、即位してからも何回か暗殺の危機がありました。

何とか生きながらえたダレイオス3世は妻と子どもたちに囲まれ、ペルシャ帝国の玉座に座っていたのですが、200年続くこの帝国に挑んで来た者がいました。

伝統国家と新興国家

マケドニアはギリシア半島中部の国で、当時は王位を継いだばかりの青年がリーダーでした。

彼は有能な青年でしたが、生母が父親に疎まれ離婚したことで王位から距離が開いてしまいました。

しかも、父王は若い後妻をもらったので、自分の異母弟誕生の恐れも出て来たのです。

しかし、父王は兵士達の信望が少ない人物でした。

あるとき恨んでいた部下に暗殺されたのです。

青年は部下達の万雷の拍手で玉座に迎え入れられました。

この青年こそ、アレキサンダーでした。

若きアレキサンダーは野望に猛っていました。

ペルシャ帝国を滅ばし、インドまで征服したいという望みを抱いていたのです。

己の才能に自信を持ち、怖いもの知らずの若者は古き王朝に戦いを挑みました。

ガウガメラの戦い

アレキサンダーとダレイオス3世の戦いはまずイッソスという比較的狭い場所で行われました。

遠征軍であるアレキサンダーの兵に対し、ペルシャ帝国の地元であり、大軍を擁したダレイオス3世。

“衆寡敵せず”という言葉がありますが、本来であればペルシャ軍の勝利だったはずです。

しかし、場所が狭かったため、大軍の利を活かせず、結果的にペルシャ軍は敗走しました。

アレキサンダー軍の士気高揚と反対に、ダレイオス3世への信頼が陰ったのは当然の成り行きだったでしょう。

イッソスの戦いから2年後、アレキサンダーは再びガウガメラでペルシャ軍と対峙します。

ガウガメラは平原ですから、ペルシャの大軍を自由に動かせるのが目的だったのでしょう。

しかし、いくら数が多くても兵士の質は重要でした。

一人一人の兵士の技能はマケドニア軍が勝っていたのです。

ダレイオス3世は再び敗走しました。

アレキサンダーはペルシャ帝国の首都バビロンに入城しここで初めて【大王】と称したと言われています。

ダレイオス3世の死

ガウガメラから敗走したペルシャの王は国内で兵を募りました。

再戦を考えていたのでしょう。

しかし、その望みは叶いませんでした。

部下の裏切りにより、暗殺されたのです。

彼の死により、アケメネス朝ペルシャは滅びました。

バビロンでペルシャ文化に開眼した(というより、かなりはまった)アレキサンダーはダレイオス3世を敬愛し始めていたらしく、暗殺した部下を捕らえるとあっさりと処刑し、ダレイオス3世の遺体を篤く弔ったと言われています。

ダレイオス3世

パオロ・ヴェロネーゼ作

ちなみにダレイオス3世の家族をアレキサンダーは丁重に扱いました。

それだけではなく、彼の娘の一人を妻に迎えています。

これはギリシャ=マケドニアとペルシャとの融合を進めるための“集団結婚”のとき、自らが手本を示すためにあえて娶ったというのが有力です。

この強制的な結婚ははっきり言って、部下達には評判が悪かったそうですよ。

ダレイオス3世の娘は娘を産みましたが、アレキサンダー急逝後の混乱の中で彼の別の妻から暗殺されました。

ダレイオス3世~アレキサンダー大王に敗れたペルシャの国王~ まとめ

若く美形で有能な権力者と古い王朝の老王が戦えば、どうしても人々の好みは若い方に向くというのは、東ローマ帝国滅亡時のメフメット2世とコンスタンティノス11世との比較を見ても当然と言えば当然のことです。

ではありますが、滅び行く王国最期の国王としてダレイオス3世も必死で生きたということは理解していただきたいなと思うのです。

  • 2018 08.17
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