実在する名刀「鬼切丸」。
近年、オンラインゲームに登場したことから、女性からの人気も注目度も高い一振りです。
しかし、「鬼切丸」という銘の裏には、報われない愛ゆえに鬼へと転じてしまった一人の姫の存在があることは、あまり知られていません。
宇治の橋姫伝説
古語で「愛らしい姫」とも解釈できる「橋姫」ですが、「宇治の橋姫」は、生きながらにして鬼へと転じてしまった姫の伝説として有名です。
平家物語や山城国風土記など、数多の文献に記され、語り継がれてきました。
伝説の概要は、激しい嫉妬にとらわれた公卿の姫が、「妬ましい女を取り殺すため鬼神になりたい」と貴船大明神に願うことから始まります。
願いを叶えるため、京都の貴船神社に篭ること7日間。
姫を哀れに思った明神が、ついには「姿を変えて宇治川に21日間浸れ」という言葉を与えるまで続きました。
それを聞いた姫は、すぐさま行動に移します。
長い髪は5つに分けられ、5本の角に。
顔には朱を、体には丹を塗ることで、全身を赤く染めました。
さらには、鉄輪を逆さに頭に取り付け、3本の台に松明を燃やすのみならず、口にも両端に火をつけた松明を咥えたと伝えられています。
鬼さながらの見た目で、大和大路を走る姿は、見るものを衝撃のあまり死に至らしめたとも言われています。
そして、ついには鬼神と化すことに成功します。
現代に伝わる姫の悲しみ
この伝説から「宇治の橋姫」といえば「嫉妬のために鬼に堕ちた女」というイメージが定着した節があります。
しかし、姫の行動をかえりみると、ただ嫉妬に狂っただけとは言い切れないのかもしれません。
愛する男性を他の女性に取られ、悲しみのあまりに辿り着いた選択だったのではないでしょうか。
鬼となるためにとった姿は、女性としてはあまりにも異様なものでした。
美しさを捨ててまで宇治川に夜ごと通う姿は、報われなかった愛による、姫の悲しみや絶望を物語っているのかもしれません。
現代に伝わる「丑の刻参り」の装束は、このときの姫の姿が起源となったとも言われています。
千年以上の時を経ても、その姿が伝えられていると考えると、切ないものです。
「鬼切丸」が「鬼切丸」となった由縁
平安時代に、源満仲が作らせた名刀「鬼切丸」。
長さ2尺7寸(約84cm)の優美な印象の太刀ですが、元は「髭切(ひげきり)」の銘が与えられていました。
「髭切」が「鬼切丸」となった由縁には、宇治の橋姫が深く関わっているのです。
祈願が成就し鬼と化した橋姫は、妬ましく思っていた女を取り殺すだけではなく、その縁者から愛した男性の親類にまで手にかけるようになります。
そして、ついには見境なく人々を殺す存在へと成り果ててしまいました。
京中の者が鬼に怯え、辺りが暗くなるころには、人の往来も途絶えてしまうことに。
そんな折に、一条大宮に遣わされることになったのが、源頼光の四天王の一人であった源綱です。
主人より預かった名刀「髭切」を腰に帯び、一条堀川の戻橋を渡ったところ、夜道を一人歩く女性と出会います。
20歳ほどで雪のように白い肌を持ち、紅梅柄の打衣に、佩帯(はいたい)の袖に経を携えて南へと向かっているようでした。
一人歩きを気遣った源綱が、家まで送ろうと申し出たところ、正親町の近くで「家は都の外なので、そこまで送ってほしい」と女性が言い出します。
この女性こそが橋姫で、綱が送ることを了承した瞬間に、鬼の姿へ変わります。
そして、綱の髪を掴み、「愛宕山まで行こう」と北西へと飛び立ちますが、引き抜かれた「髭切」で腕を切り落とされるのです。
鬼はそのまま愛宕山へ去り、綱の元には、銀の針のような毛が生えた、真っ黒い鬼の腕が残されました。
この出来事から、鬼を切った名刀として、「髭切」は「鬼切(鬼切丸)」と銘が改められました。
ちなみに、鬼の腕は、陰陽師として名高い安倍晴明によって封印されたと伝えられています。
「鬼斬丸」にまつわる鬼たち
報われない愛から鬼となった「宇治の橋姫」の他にも、名刀「鬼切丸」にまつわる鬼の話は、数多く語り継がれています。
「宇治の橋姫」の出来事の後日譚として、腕を取り戻しにきた鬼を、「鬼切丸」をもって返り討ちにするエピソードが存在します。
このほかにも、大江山の鬼の頭領であった酒呑童子(しゅてんどうじ)退治が有名です。
京で暴れていた酒呑童子を討ち取った際に使用されたのが、鬼切丸だという説です。
また、多田満仲の戸隠山の鬼退治においても、用いられたという話があります。
さらに、坂上田村麻呂が鈴鹿御前との打ち合いに使用したとも言われています。
どちらも、大嶽丸や悪事の高丸といった鬼神討伐の逸話を持つ人物です。
「鬼切丸」の名が表すとおり、鬼との縁が深い一振りだということが分かります。
鬼切丸~宇治の橋姫伝説と鬼を切った名刀~ まとめ
悲しい愛ゆえに鬼となった「宇治の橋姫」の腕を切り落としたことで、「鬼切丸」の銘が与えられた名刀。
現在は、京都の北野天満宮に、重要文化財として安置されています。
海外に在住しながらライティングしています。