天孫降臨~猿田毘古神【サルタヒコ】と天宇受売命【アメノウズメ】

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言葉として聞いたことはあるのに、ではどういうものなのか?

と考えると「なんだっけ?」となってしまうトピックは多々ありますが、今回紹介する【天孫降臨=てんそんこうりん】もその一つではないでしょうか?

天の孫ってなに?というところから説明していきましょう。

邇邇芸命

神の国高天原(要するに中央政権)と、葦原中国(各地方の政権)との間には、沢山の諍いがありましたが、やっと高天原の神々が統治する基盤が整いました。

簡単に言うと、めぼしい地方政権が消えたので、自分たちが政権を取れると確信したということでしょう。

太陽神として一番の神=天照大御神と高御産巣日神(高木神)は、天照大御神の子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(アメノオシホミミ)に「葦原中国は我々の元に平定されました。そなたはそこへ赴任して新しい国を統治しなさい」と命令したのです。

ちなみにアメノオシホミミは天照大御神の子と言われますが、父親の名前は出て来ません。

と言って、マリアのように処女懐妊というわけでもないようです。

天照大御神のミステリアスさがよけい強くなった気がしますね。

どうやって産まれたのか謎なアメノオシホミミですが、高天原から他の国に行くのが嫌だったのか、まさか職場放棄ではないでしょうが「実は私が出雲に天降ろうと準備をしている間に子が生まれました。子の名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(ニニギノミコト)です。私の代わりに出雲の支配者として、この子を降してはいかがでしょうか」と提案したのでした。

現代人の感覚なのでしょうが、危険があるかも知れない新天地に自分の子どもを送り出そうという父親ってどうかとも思いますよね。

この邇邇芸命(ニニギノミコト)の母は、高御産巣日神の娘である万幡豊秋津師比売命で、天火明命という同母兄もいます。

その兄をさしおいて、弟であるニニギノミコトに神統(天照大御神の血筋)を嗣ぐというとても重要な役割が与えられたわけです。

末子相続

長子相続が多い現代の感覚からすると意外な感じですが、実は古代ではこのように末子相続(末の子が家督を嗣ぐこと)が一般的であったと思われています。

この末子相続という伝統は、巨大古墳の主とされている第16代・仁徳天皇(推定5世紀頃)の頃まで続いたと考えられています。

親からすれば、上の息子達は自分の協力者として頼もしくもありますが、自らの地位を脅かす存在ともなりうる者です。

末子はまだまだ幼くて、ただかわいいと感じる存在ですから、情が移り、末子相続が盛んになったのでしょう。

しかし、そんな親子の情愛が骨肉相食む惨劇を呼ぶ原因ともなってしまうのです。

有名なのが仁徳天皇の異母兄大山守命のエピソードでしょう。

長男であり、父親に協力してきた自分ではなく異母弟に国を奪われるのではないかと疑い、先手を打って戦いを挑んだ大山守命でしたが、無残に破れました。

またモンゴルなどでも末子相続が優勢だったそうです。

事実、英雄チンギス・ハンが帝国の後継者に指名したのは長男ではありませんでした。

案内人 猿田毘古神

猿田毘古神

猿田毘古神

ニニギノミコトは父の言いつけに従い、高天原から地上に下りてゆきました。

その様子を天照大御神と高御産巣日神が見ていると、その途中の天之八衢(やちまた=縦横に多くの分岐がある結節点のような場所)という場所に、一柱の神が立ちはだかっていたのです。

その神は、高天原から葦原中国までをも照らすほどの強大な神でした。

孫を心配したのか、天照大御神と高御産巣日神は天界一のダンサー天宇受売命を呼び出すと「おまえは確かに手弱女ですが、顔を合わせた神に対しては一歩も引かない強さを持っています。

天之八衢に行って、我が子孫が天降ろうとする道を塞ぐおまえ誰かと尋ねなさい」と命じたのです。

天照大御神の命に従って天之八衢に降りた天宇受売神が尋ねると、相手は「私は国津神の猿田毘古神(サルタヒコ)と申します。天津神の御子が天降りされると聞きましたので、先導としてお仕えしたいと思い、参上いたしました」と答えたのでした。

ニニギノミコトの言わば道案内を買って出たサルタヒコですが、いきなり現れたこのサルタヒコという神は一体何者なのかと疑問を感じますね。

『古事記』には前から人間の国に住んでいた国津神(くにつかみ)としか記されてはいません。

『日本書紀』によるともう少し詳細な描写があります。

世界を照らす神というイメージではなく、【天狗のような長い鼻】と【ホオズキのように赤い目】を持った大きな体躯の神と書いてあるのです。

要するに恐ろしい異形の神の姿をしていたというわけです。

ちなみに天照大御神を祀る伊勢神宮のある伊勢市にはサルタヒコ祀る猿田彦神社もあります。

サルタヒコのエピソードから推測されることは、天照大御神を中心とした天津神(中央政権)に対して、抵抗する可能性のある国津神(地方勢力)が出雲国に残っていたのではないかということです。

ですから天津神側は、わざわざ天宇受売神を使者として送り、相手の様子を窺っていのだとも考えられるのです。

うまく誘導して聞きたいことを聞き出せた天宇受売神は、優れた踊り子でもありましたが、同時に優秀な交渉人でもあったようです。

韓国を望む場所に宮を建設

天孫降臨

天孫降臨

ニニギノミコトが天下りのお伴にしたのは、偉大なる祖母天照大御神が天石屋ごもりしたときに引っ張り出す協力者となった天児屋命、布刀玉命、サルタヒコとの交渉で活躍したダンサー天宇受売神、鏡を作った伊斯許理度売命、玉飾りを作った玉祖命らの5柱の神でした。

それとは別に天照大御神は、思金神、手力男神、天石門別神などの頭の切れる優秀な腹心と共に、勾玉や鏡、草那芸剣などの天孫の証となる宝物、いわゆる【三種の神器】を下賜し「この鏡を私の魂と思い、私自身を拝むように祀りなさい」と命令しました。

高天原のスター神や宝物まで預けて送り出すとは、ニニギノミコトの才能を見込んだと言うことでしょうか。

それにしても、懐刀と言うべきオモイカネまで手放して大丈夫なんだろうか?

と高天原のその後を心配してしまうのは筆者だけではないと思います。

もっとも、記紀にはこれ以降高天原の描写はほとんど無くなり、地上の話ばかりになるのですが。

いよいよ地上に降りたニニギノミコトとその仲間は、何重にもたなびく雲(瑞雲でしょうか)を押しわけ、道をかきわけて、天浮橋から竺紫日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)に到着しました。

その場所が気に行ったのかニニギノミコトは「この地は海を隔てて韓に近く、笠沙の岬を正面に見て、朝日が真っ直ぐに差し込み、夕日が照り輝くとてもよい土地だ」とべた褒めし、地下は地底の岩盤にまで届くほど深く、上は天までも届きそうな太い柱を立てて、宮殿を建設したと言われます。

『日本書紀』によれば、日向の高千穂の峰から膂宍之空国(そししのむなくに=不毛の地)を経て、韓国の見えるこの場所に落ち着いたとされています。

天孫降臨の地は高千穂峰とされ、鹿児島県と宮崎県の境という説と、宮崎県という説がありますが、【韓国が見える】という一説から考えると、どちらでもないように思えるのですが…日本海に面した場所ではないかと筆者は想像します。

それにしても、韓国が見える場所がどうしていい場所とされたのでしょうか?

実は天係は朝鮮半島から渡来して、葦原中国を統治したのだ、だから故郷が見える場所を選んだのだという説を唱える人もいるそうです。

猿田毘古神暗殺?

猿田毘古神と天宇受売命

猿田毘古神と天宇受売命

道案内をしたサルタヒコですが、この後、またしても唐突に登場してきます。

ニニギノミコトは天宇受売命に「サルタヒコをその故郷(伊勢)まで送り届け、その神の御名をおまえが名のり、彼に仕えなさい」と命じました。

つまりサルタヒコと結婚して(改名して)同時に監視するようにと命令したのです。

これを見るとニニギノミコトが決してサルタヒコを信頼していたとは言えないのがおわかりですね。

さて、結婚した天宇受売命は夫猿田毘古の名を取って猿女君とも呼ばれるようになりました。

あるとき、猿田毘古神が阿邪訶(あざか)というところで漁をしていると、比上夫貝にその手を挟まれ、あっけなく溺死してしまいました。

夫の死に悲しみ嘆いた天宇受売は、大小の魚を集め「おまえたちは天津神の御子に仕えるか否か」と半ば脅迫めいて問い詰めました。

魚たちは皆「喜んでお仕えします」と申し上げたのですが、海鼠だけが黙っていたので、天宇受売は小刀でその口を裂いてしまったと言います。

この話を深読みすると、天宇受売という監視役をつけたにも関わらずサルタヒコの存在に安心できなかった天津神側(ニニギノミコト)が刺客を送り、暗殺させたというふうに受け取れます。

そしてその卑怯なやり方に怒った猿女君が詰問して、暗殺者(海鼠)の口を割り、真相を吐かせた、というのが、【海鼠の口を裂いた】という、何とも奇妙な言い伝えの核心だとも言われます。強制的な政略結婚でしたが、猿女君はサルタヒコに心を開くようになっていたのでしょう。

サルタヒコとは、国津神の中でもかなりの有力者で、あの大国主神にも匹敵するほどの人望や実力を兼ね備えていたのかも知れません。

木花之佐久夜毘売と石長比売

高千穂の地に宮殿を建て、そこに落ちついたニニギノミコトは絶世の美女と出会います。

これが有名な木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)です。

一目惚れしたニニギノミコトが即「是非ともあなたと結婚したい」とプロポーズします。

コノハナサクヤヒメは「私の一存ではお返事はできません。国津神である父の大山津見神がお答えいたします」と答えたのでした。

これ以降の展開は『コノハナサクヤヒメ』の章で詳しく紹介していますが、ニニギノミコトは願い叶ってコノハナサクヤヒメと結婚できました。

が、彼女と同時に贈られた姉の石長比売(イワナガヒメ)を嫌って送り返してしまったために、短命の運命を背負うことになってしまったのです。

歌の一節ではありませんが、

咲き誇る花は 散るからこそ 美しい

というわけで、ニニギノミコトの子孫(天皇家につながる)が美貌でありながら、短命なのはイワナガヒメを拒絶したという理由があるからなのです。

火中で出産する木花之佐久夜毘売

さて、ニニギノミコトはせっかく結婚したコノハナサクヤヒメと一晩の契りを結んだだけで、慌ただしく政務に取りかかりました。

サルタヒコの例を挙げるまでもなく、未だにまつろわぬ国津神が多々存在していたのでしょう。

それらを懐柔したり、威圧して従わせたりと、なかなか多忙だったようです。

再びコノハナサクヤヒメの元に戻ったとき、彼女は妊娠を告げました。

いくらなんでも、たった一夜の交わりで子どもができるなんて…と不審に思ったニニギノミコトは「私の子ではない。どこかの国津神の子だろう」と言ってしまったのでした。

簡単に言えば、「俺のいない間に他の男と浮気してできた子どもだろう」と言ってしまったわけです。

コノハナサクヤ

コノハナサクヤ

さあコノハナサクヤヒメの意外とコワイ本性が発揮されます。

怒った彼女は「この子が国津神の子であれば無事には生まれないでしょう。でも天津神の子であれば無事に生まれます」と言い切り、出入り口のない産屋を作り、火を放ち、その中で出産に臨みました。

予言通り、燃えさかる炎の中でコノハナサクヤヒメは火照命、火須勢理命、火遠理命の3柱を産んだのでした。最後に生まれた火遠理命は、別名天津日高日子穂穂手見命とも呼ばれ、この神が現在も続く皇室の初代の天皇、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ=神武天皇)の祖父ということになります。

神話が次第に歴史になってゆく過渡期の象徴が天孫降臨とも言えましょう。

それにしても、ただ優しく美しいだけではないコノハナサクヤヒメの情の怖さ(我の強さ)をニニギノミコトはどう感じたのでしょう。

出産後、夫婦の仲は元に戻らなかったことを考えると、ニニギノミコトは女性の心情にゾッとするものを感じたのではないかと想像します。

コノハナサクヤヒメの怒りもなかなか収まらなかったでしょうし、不用意な一言によって【覆水盆に返らず】状態になったのではないかと思います。

天孫降臨~猿田毘古神と天宇受売命~ まとめ

実は筆者も天孫降臨についてはよく知りませんでした。調べて書きながら、こういうことかと改めて認識した次第です。

天の孫=天照大御神の孫=ニニギノミコト。彼に従い或いは対立したと思われるサルタヒコが伊勢神宮と同じ町に祀られているというのは、天孫が土着の神を取り込み、自分たちと同化させていった証拠ではないかと思われますね。

  • 2018 08.31
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