『マヌの法典』、世界史の授業で習ったことはありませんか?
古代インドのヒンディー教の法典でカースト制の義務などを定めた法です。
今や悪名高いカースト制ですが、当時は社会を安定させるために必要だった法とも言えるかも知れません。
このマヌとは創造神ブラフマーと妻サラスヴァティの子どもと言われています。

マヌとは?

マヌには【人間】という意味があります。
インド神話においては、マヌは現在の人類の先祖とされています。
父は創造神であるブラフマー、母はその妻で“最高の女神”と賞されるサラスヴァティと言われています。

神の子であるマヌがどうして人間の始祖となったのか、古代インドのヴェーダ文献のひとつ『シャタパタ・ブラーフマナ』を参照してみます。
ある日、マヌが手を洗っていると魚が1匹、彼の手の中に入ってきました。
そして「数年後に大きな洪水が起こり、人類は滅亡する」と予言したのです。
それだけではなく「自分を飼ってくれたら、その大洪水のときにそなたを助けてやろう」と約束しました。
マヌは魚の言葉に従い、飼うことにしました。
やがて魚が成長したので、海に放したそうです。

予言どおりに大洪水が起こると、マヌはその助言に従って船に乗りこみます。
そこの近づいてきた魚に船につなぐと、魚は船を北の山(ヒマラヤと言われています)へ導いてマヌを降ろしたのです。
その場所は【マヌの降り場】とか【マヌの降りた場所】と呼ばれているそうです。

この洪水で助かったのはマヌただ一人でした。
彼はたった一人の人類となってしまったのです。
マヌは子孫を作ろうと苦行に励み、水を祀り続けました。
その甲斐あって1年後、水の中から一人の女性が出現したそうです。
マヌは彼女を妻として、子孫を作り、それが人類の祖先となったとされています。

洪水伝説

マヌ
マヌと7人の賢者が乗る船
画像出典:ウィキペディア

マヌと魚のエピソードは、旧約聖書にある【ノアの方舟】を連想さますね。
実はこのような大洪水伝説は世界のあちこち(バビロニア、ギリシャ、北アメリカなど)に伝わっているのです。
その理由は現在でも不明ですが、一番多い理由として考えられるのは、インドも含む四大文明もそうですが、文明は川の近くで発祥することが多かったため、古代の人々は川の氾濫を常に恐れていたと思われます。
そのために考え出されたエピソードではないかということです。
生活のために必要な水ですが、一旦氾濫すれば命に関わります。
古代の人々は危険と隣り合わせで暮らしていたのです。

マヌと洪水の神話は後に成立した文献にも順々に引き継がれていきます。
そのうち、彼を救った魚の正体が色々と付加されていきました。

紀元4世紀頃に成立した叙事詩『マハーバーラタ』によると魚の正体はマヌの父とされる創造神ブラフマーと言われ、維持神ヴィシュヌ信仰が盛んになってから成立したプラーナ文献『バーガヴァタ・ブラーナ』によると維持神ヴィシュヌの第1の化身マツヤとなっています。
マツヤはサンスクリット語で魚一般を指す言葉で、特に何の魚ということではありません。

14人のマヌ

ヒンドゥー教が盛んになるとマヌはブラフマーの子とされました。
同時にマヌは14人いるということになったのです。

どうして14人ものマヌがいるのか、それにはヒンドゥー教には【マヌの世紀】という概念があるためです。
それは人類の始祖マヌは何回も生まれ、世界のサイクルを維持するという概念です。
そもそも宇宙はブラフマーが目覚めて作り出され、眠ると消滅すると言われているのですが、このブラフマーにとっての1日が1カルパです。
その1カルパは14に分かれていて、それぞれにマヌが存在すると考えられているのです。

現在のマヌは、ブラフマーの7番目のサイクルのマヌとされ、太陽神スーリヤの別名ヴィヴァスヴァット(ブラフマーと同一視されています)が父なので“ヴィヴァスヴァットの息子”という意味のヴァイヴァスヴァタ・マヌという名前で呼ばれています。

エンタメ世界でのマヌ

エンタメ世界でマヌが登場するというのは、聞かないですね。
ちなみにイースター島の神話にタンガタ・マヌという鳥人が登場しますが、同じマヌでも全く関係ありません。
「こんな作品にマヌが登場しているよ」というのがありましたら、コメント欄で教えてください。

マヌ|人類滅亡の大洪水から人類の始祖となった人間 まとめ

人類の始祖と言われるマヌですが、同じ人類の始祖とされるノアほどの知名度はないようです。
元々インド神話ではヴィシュヌ、シヴァの2神が飛び抜けて知名度が高く、ブラフマーでさえ後塵を拝している感がありますが、マヌの影が薄いのはそのためだけではないような気がします。

印象に残るのは洪水エピソードだけで、ブラフマーとサラスヴァティの息子なのに、妻となった女性とのラブストーリーなどもなく、優等生というか、あまりにも無個性すぎるからではないかと思ってしまいます。