アカラナータ(天空戦記シュラト)炎を背負って怒りの表情でこちらを睨む…

そんなイメージの不動明王ですが、筆者にはテレビアニメ『天空戦記シュラト』の不動明王アカラナータのイメージが強烈です。

主人公シュラト立ちの敵として賑やかに(やかましく)登場し、アクション一つ一つに大げさなセリフを付けたアカラナータ。

シリアスな展開なのに笑えるキャラでした。

そんな不動明王について今回は紹介します。

 

不動明王とは?

不動明王(モンスト)やはり不動明王と言ったら、バックにメラメラと燃えさかる炎を背負う、いかめしい姿を連想しますよね。

実は明王(仏教を守る守護神)と名のつく仏様はたいていが髪を逆立て、武器を何か一つは手に持ち、それはそれは恐ろしい姿をしているんです。

まるで敵に立ち向かうようですが、理由があります。

もともと不動明王とは大日如来が全ての悪魔を調伏するために憤怒の表情をしているとされ、武人にとっては敵や悪魔を倒すということで、その力にあやかりたいと信仰する者が多かったようです。

不動明王はインド名では【アチャラナータ】と言います。

【アカラナータ】もここから持ってきたんでしょうね。

密教で言う五大明王の中でも、代表的な明王である不動明王は一番知名度のある明王で、数多くの寺院で祀られています。

人間は死んで輪廻すると言われています。

その輪廻する世界は地獄から天界までの六つあると言われています。

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、そして天界の六段階を順番で輪廻していくと考えられているのですが、その段階それぞれで悩みや執着に捕われると言います。

不動明王は、その迷いや悩み、執着、欲望などを断ち切って、進むべき道を示してくれると言われています。

つまり、人々を救済してくれる大切な存在であり、殺伐とした生活を送っていただろう戦国武将にも人気があったのも当然と言えば当然だと思われます。

 

甲斐の虎と不動明王

武田信玄(モンスト)毘沙門天を異常なほど崇拝した上杉謙信が越後の龍と異名を持っていたならば、川中島で戦った武田信玄は甲斐の虎と呼ばれていました。

その信玄が住んでいた躑躅ヶ崎館の古図(永禄年間1558~1570年)によれば、現在の武田神社の東隣に毘沙門堂があり、その北奥に不動堂と飯綱堂が配置されていたそうです。

また、信玄の菩提寺である恵林寺の明王殿には武田不動(劫火を背負った忿怒の表情すさまじい像です)が安置されていますが、寺の伝承によると天文二十年(1551年)、信玄31歳のとき、京から仏師宮内卿法康清を招いてみずからの体を模刻させ、等身大の像を作らせたと言います。

そのとき信玄は自分の髪を漆に混ぜて像の胸に塗りこめ、彩色を施したと伝えられているのです。

『天正玄公仏事法語』によると円光院説三は「武田信玄が自ら不動明王を造ったのは、治国の宝剣をもって、国を治めるため」と判断しています。

信玄の葬儀を執り行った快川和尚の偈(仏を褒め称える言葉。この場合は信玄を明王として褒め称えたのだと思います)の中でも、この不動尊は信玄と不離一体のものと言っています。

ちなみに恵林寺は武田家滅亡と同時に織田信長により焼き討ちに遭い、快川和尚以下皆殺しにされました。このときの快川和尚の辞世と言われる「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉は有名ですよね。

 

不動明王の真言

不動明王像(醍醐寺)真言を唱えるととても大きな効験を得ることができると言われています。

では、不動明王の真言を紹介しましょう。

「ノウマク サンマンダ バザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」

【遍満する金剛部諸尊に礼したてまつる。暴悪なる大忿怒尊よ。砕破したまえ。忿怒したまえ。害障を破摧したまえ】という意味でわかりやすく言うと【怒りの姿をしている不動明王よ、障害を除いてください】ということらしいです。

 

不動明王~甲斐の虎が信仰したアカラナータと真言の力~ まとめ

不動明王はかなり知名度のある神ですが、実際はどんな神なのかはあまり知られていないような気がします。

かく言う筆者も「俺は不動明王、アカラナータ!ムダよ、ムダ、ムダ、ムダだっ!」という『天空戦記シュラト』のイメージが強くて…

ちゃんとした不動明王の姿が少しでもおわかりいただけたら、幸いです。