ダイオミードという《発光ダイオード》のような名前の男が今回の主人公です。

彼自身はあまりメジャーではありませんが、トロイア戦争では大活躍した英雄です。

ルーブル美術館にはなかなか凛々しい彫像があります。

 

出生

ディオメデス(古の女神と宝石の射手)父親はギリシャ西部カリュドーン王オイネウスの息子テュデウス、母はアルゴス王女ディピュレと伝わっています。

このテュデウスはなぜか戦いの女神アテナの加護を得ていました。

そのおかげでディオメデスも彼女の庇護を受け、トロイア戦争で華々しい活躍ができたのです。

また、すぐれた身体能力を持ち、チャリオットという1人乗りの戦車と徒競走が得意だったそうです。

古代ギリシャではよくスポーツ大会が開かれていましたが、何度も優勝したと言われています。

父テュデウスはテーバイとの戦いで命を落としましたが、復仇を誓いディオメデスはたった15歳でテーバイを攻略し、その武名を国中に轟かせることになりました。

この戦いの最中、戦友だったアルゴスの王子アイギアレウスが戦死し、その父のアルゴス王も悲しみのため自殺してしまいます。

テーバイとの戦いに勝利したディオメデスはアイギアレウスの姉妹のアイギアレイアを妻に迎え、アルゴス王になりました。

アルゴスに善政を敷き、尊敬される王になったと伝えられています。

 

ヘラクレスの弓

ゼウスの息子、激情家のヘラクレスは死の直前、愛用の弓をピロクテテスに譲りました。

ピロクテテスとは、ヘラクレスの願いに応じて、彼の体に火を放ったポイアスの息子です。

弓はポイアスからピロクテテスへと伝わり、トロイア戦争時予言者カルカスは「ヘラクレスの弓がなければ、ギリシアは勝てないだろう」と言ったのです。

ディオメデスはピロクテテスを連れにレムノス島へ向かい、毒蛇に噛まれて苦しんでいた彼を発見します。

動けないピロクテテスを「ギリシャ軍には医術の神アスクレピオスの息子ポダレイリオスがいる。彼に治療してもらえば。すぐ治るだろう」と説得し、ピロクテテスをヘラクレスの弓付きで自軍に迎えることに成功しました。

 

チャリオット

イッソスの戦い戦車とも訳されますが、台車に馬をつないだ戦闘用馬車のことです。

有名な【イッソスの戦い】の絵で、アレキサンダーは騎乗ですが、ペルシアのダレイオス王は馬車に乗っていますね。

あれもチャリオットの一種とされています。

トロイア戦争の時代は騎兵が登場する以前だったので、馬は主に戦車を引くものとして利用されていました。

ディオメデスはこれを操るのを得意だったそうです。

 

トロイア戦争での活躍

ディオメデスが連れてきた弓の名手ピロクテテスは期待に背かず有能でした。

アポロンの加護のおかげでアキレウスを討ち取ったトロイア王子パリスをヘラクレスの弓で射殺したのです。

知略と勇猛さを兼ね備えたヘクトルは既に亡く、パリスを失ったトロイア側の士気は一気に下がり、ギリシャ軍の勝利に結びついたのです。

また、ディオメデスは神であるアフロディーテにも傷を負わせています。

アフロディーテの子アイネイアスと一騎打ちになり、追い詰めたのです。

我が子の危機に飛んできた女神にも傷を負わせたと言いますから、相当武勇に優れた人物だったようです。

また、アフロディーテの愛人である軍神アレスにもケガをさせて、戦場から追い出したとも言います。

トロイア戦争終盤、有名な《トロイの木馬》が登場します。

冷徹な戦略家オデュッセウスの策でした。

ディオメデスは他の兵士と共に木馬に潜み、敵兵が寝静まったところで、木馬から飛び出しも城内へ突入しました。

策は的中し、栄華を誇ったトロイアは炎に包まれ落城したのです。

 

ディオメデス~勇猛なチャリオットの名手~まとめ

ギリシャとトロイアの戦争は10年間の長きに亘って続きました。

オリンポスの神々が双方に分かれ、味方したので人間は知らぬうちに神の怒りを買っていたようです。

アフロディーテやアレスを傷つけたディオメデスでしたが、彼は無事にアルゴスに帰還できました。

しかし、オデュッセウスやアガメムノンを始め、悲惨な運命に翻弄された多くの男たちは神の罰を受けたと言って良いでしょう。

ディオメデスは華々しい栄光に包まれることもなく、かと言って悲劇的な最期を迎えることもありませんでした。

その波風の少ないことが、英雄達の間にあっては《平凡》だと思われますが、実は人間としては幸せなことだったのではないかと思われるのです。